拓也の家に帰ってシャワーを浴びたら響はとても眠くなってしまって、パンイチのままベッドに倒れ込んで寝てしまった。
目が覚めたら夜の12時を過ぎていた。
何かメールが来ていないか、Gパンのポケットを探したら、携帯がないことに気づく。
多分スタジオに忘れてきたんだろう。
今行けばまだ拓也がいるだろうと思い、響はスタジオに向かった。
暗い首都高の高架下は、この時間でも沢山の車が行き交い、排気ガスを撒き散らしていた。
この汚れた空気は、田舎育ちの響にはなかなか馴染めない。
オレンジのスタジオが見えてきた。
営業は12時までなので、看板の明かりは消えている。響は自動ドアを開けて中へ入った。
携帯はカウンターの上に置いてあった。一安心して拓也を探したけれどカウンターの中には見当たらない。
スタジオの方を見たら、1つだけ明かりがついている部屋がある。
覗いてみると、拓也が一人でドラムを叩いていた。
汗びっしょりの黒髪を振り乱して叩くドラムプレイは、鬼気迫るような、ゾッとするほどの気迫を帯びていた。
とても中に入っていける雰囲気じゃない。
だけど響はそのプレイから目が離せなかった。
そのうち、そのプレイがガチガチに硬くなり様子がおかしくなったような気がした時、バン!と音を立ててスネアドラムが破れた。
拓也は肩で息をしながらおののいているように見えた。
響は見てはいけないものを見てしまったのだと思い、そっと帰ろうとしたけど、足が動かない。
その時顔を上げた拓也と目があってしまった。
それは血走った鋭い目だった。
拓也は響を見て驚いて目を丸くしたけど、一呼吸すると口元だけ笑って手招きをした。
響はスタジオの扉を開けた。
「すいません。携帯忘れちゃって、取りに来たんです。明かりついてたからのぞいちゃって…」
「いいよ。お前そこにギターあるから、弾けよ。俺代わりのスネア持ってくるから、チューニングしとけ。セッションしよう」
そう言って受付に代わりのスネアを取りに行った。
響はいきなりのことに驚いたけど、拓也がセッションに誘ってくれたのは嬉しかった。
セッションなんかしたことないのだけど、ただワクワクして、スタンドに置いてあったギブソンのギターをアンプに繋いだ。
慣れないギターだ。チューナーに繋いで、チューニングをした。
置いてあったピックで、6弦から1弦に鳴らしてみた。
ぞくっとするような音。大きなアンプで聞くシャープなギターの音。何かが響の中で燃え出した。これだ。響はこの瞬間を待っていた。
拓也がスネアを待って帰ってくると、セッテイングをしながら言った。
「お前、やっぱギラギラしてんな。路上ライブで見た時と同じだ。いい顔してる。」
そういってセットしたスネアをスティックでタタンと叩いて調子を見た。
「さて、始めようぜ。適当に好きなことしよう。俺もお前も、相手の音を聞きながら好きなことすればいい。それがセッションだ」
拓也は言い終わる前にドラムを叩き始めていた。エイトビートに華やかな飾りをつけて。
響の中の何かが燃え上がった。拓也のドラムに合わせて、何をやったらいいか分からないけど、とりあえずジミヘンのパープルヘイズを弾き始めた。
それはだんだんとパープルヘイズを離れ、自由な音階に変わっていき、心地いいグルーブになり始めた。拓也の顔を見ると、そう、それだ!と言われてる気がした。
ふとその時、エクスタシーのような、忘我のような、不思議な感覚が降りた。
なんだこれ。最高に気持ちいい。
響は、きっと今恍惚とした顔をしているだろうと思った。
エクスタシーだ。まさにこれは、エクスタシー。
恍惚の中で拓也のドラムとギターのセッションがまるで一つの生命体のようにグネグネと動いていた。
もはや手は勝手に最高のフレーズと音を奏でている。
泣いてしまいそうだった。
何かが降りている。そんな感じだった。
そしてだんだん、空間が止まっているような感覚になってきた。
拓也のドラム、響のギター、
音色とリズムが鳴り響きながら、止まっているような。
拓也もスティックからドラムが体の一部になっているように夢中に叩いている。
二人はお互い恍惚としながらも激しく、だけどなぜか止まっているような奇妙な瞬間を共有している。
やがて力尽きたように演奏はゆっくりと終演に向かい、最後の一音、最後のハイハットの音が響いた。
二人はお互いしばらく声が出なかった。
鋭い目で見てくる拓也を、響 も鋭い目で見つめた。お互いに息が上がっていた。
「おまえやっぱ、凄えな。今の感覚、超よかっただろ?」
「なんか、すっごい気持ちよくて、泣くかと思いました。超よかった。」
拓也さんは嬉しそうに微笑んだ。
「こうなるときとならない時がある。音楽の神ってやつは気まぐれなんだよ。これだからセッションて最高だよな」
響は呆然とギターを抱えて余韻に浸ったまま、うなづいた。
「よし、じゃ帰ろう。またやろうな」
響はハイ、と答えて、まだ余韻に浸りながらも、片付けをした。
そしてどうしても気になった質問を拓也にしてみた。
「拓也さん、僕が来る前、何故あんなドラムプレイを?
僕は、途中から拓也さんがすごく苦しそうに見えた。」
拓也は質問になかなか答えずに黙っていた。
「すいません。気になってしまって。出すぎた質問でした。」
「いや、いいよ。」
拓也さんは受付の破れたスネアをもち上げた。
「こんなこと、プロのドラマーがやることじゃねえよな。覚えとけよ。スネアぶち破るのは素人の、それもバカだけだ」
響は思わず笑ってしまった。拓也も笑った。
「仕事の時はこんなことしねぇよ。だけどああやってたまに一人で叩いてると、なんか力入っちゃってな。ムカつくこと思い出しちまうんだよな。感情でドラムに当たるなんて最低だよな」
響はそれ以上言葉が出なかった。
拓也が一瞬とても悲しい顔をしたからだ。
「帰ろうぜ。すっかり真夜中だ。子供はとっくに寝る時間だな。」
二人は店のシャッターを閉め、家へと帰った。
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