本当のパパ①

すばるには本当の父親の記憶が無い。
3歳にならないうちに両親が離婚したからだ。
母親のレイナに話は聞いていたけれど、写真も無いし、どんな人なのか想像するしかなかった。

父親は、レイナの高校の美術部の同級生。いつも部室の隅で静かに木炭デッサンをしていたという。寡黙で、時々描く油絵はとても素晴らしかったそうだ。

でも、とレイナは言う。
何考えてるかわからないし、お金は無いし、根暗で変なやつ、なのだそうだ。

すばると名づけたのも父親。変わり者だとしても、(レイナもだいぶ変わり者だが)いつか父に会いたいとすばるは思っていた。

「それで、お父さんの名前はなんていうの?」
話を聞いていたタクヤが質問する。
「わかんない。」
「え?レイナさん教えてくれなかったの?」
驚くタクヤにすばるはうんとうなづく。
「ママ、なぜか分からないけど絶対に教えてくれなかった。あいつのことは考えたくもない、できれば存在も消したい!とか言って。名前くらい教えてくれてもいいのにね」

これにはタクヤもうーんと唸った。

「名前がわからないんじゃ、探すのも大変だな…いや、美術部にいたんだろ、高校の名簿を調べれば掴めそうだ」

「あ、なーるほど!でも、ママ名簿なんて持ってなかったし…どうしたらいい?」

「なぁに、こっちには強ーい味方がいるだろ。お金と地位と、『目の力』にものを言わせたら無敵な人が」

タクヤはニヤリと笑うと携帯で電話をかけ始めた。

「ルイさんね…」

すばるは笑った。いつも穏やかでちょっと天然でおっとりしたルイが、実はすごいチートキャラって、なんだか漫画みたいで可笑しくなってしまう。

「ああ、ルイ?俺だけど。ちょっと頼みたいことがあるんだ。〇〇高校の名簿が欲しいんだけど、出来れば卒アルも。✖️✖️年度のやつ。手に入るかな。……え?ほんとに?」

タクヤはすばるの方を向くと嬉しそうに言った。
「ルイ、これから〇〇高校に行く仕事があるんだって。俺たちも行こう」
「ええ?!」

突然の展開にすばるは目を丸くする。タクヤが電話を切ると2人は待ち合わせ場所に急いで出かけて行った。


「あ、来た来た。こっちだよ、すばるちゃん、タク!」

駅前の駐車場に車を止め、ロータリーに向かうとルイが既に来て待っていた。

「ルイさん待たせてごめんなさい。お仕事なのに本当にいいの?」

「もちろんだよ。こんなにタイミングいいなんて奇跡だね。高校にはここから歩いてすぐだから、行こう」

3人は歩き出した。

「高校での仕事って、講師か?」

歩きながらタクヤがルイに聞く。

「いや、ミニライブさ。たまたまこの前のソロライブにここの校長が来ていてね。いたく気に入ってくれて、ぜひ生徒の前で演奏してほしいって。
素敵な奇跡が重なって、君と一緒になったから2人でやろう!」
「え?!」

ルイさんは楽しそうに笑っている。

「こんな形で久しぶりにAZEMICHIのライブが出来るなんてね〜!僕は君からの電話を聞いて思わず部屋でイエス!!って叫んだよ」

「ちょ、ちょっと待て、校長はお前のライブを見て呼んだんだから、俺はあくまでゲストな!一曲くらいにしとくよ」

「まあまあ、何曲かやってもいいじゃん!じゃあ出てくれるってことでいいね!」

そんな会話をしていたら高校に着いた。

「ここがママとパパの通ってた高校…」

すばるは感慨深い様子で、校門や校庭を見渡している。

「じゃあ、校長室へ行こう。校長に話はしておいたから、資料を用意しておいてくれてるはずだよ。」

3人は古びた校舎に入り、緑色のスリッパを履いて年季の入った廊下を歩いた。

校内はまだ授業中のようで、生徒たちは静かに授業を受けながら、廊下を歩いていく3人に時折ちらっと目を向ける。

校長室は二階の端にあった。

ルイがノックをして扉を開ける。

恰幅のいい50代くらいの男がそこにいた。

「やあルイくん!今日は我が校に来てくれてありがとう!この日を楽しみにしていたよ」

校長はルイの手を取ると大袈裟に上下に振って喜びを表現した。

「いえいえ、こちらこそ素敵な機会を下さって感謝しています。あ、こちらがお話ししていた友人です」

ルイがタクヤとすばるに目を向ける。

「よろしくお願いします」
急に振られたのですばるはなんとなく恥ずかしくて小さな声で言った。

「お忙しい中勝手なお願いをして申し訳ありません」

タクヤが礼儀正しく深々と頭を下げる。

「ご友人とはAZEMICHIのタクヤさんのことだったのですね!なに、いいんですよ、資料は保存してありますし、何よりルイくんの頼みですからなぁ。力になりますよ」

ルイのやつ、何度か「目の力」で頼み事でもしてるな…とタクヤもすばるも思った。校長のルイ贔屓がすごいからだ。
ルイの目は「魅了」。その不思議な色の目で見られると、見たものは心を掴まれて陶酔させられてしまう。

「さあ、✖︎✖︎年度のアルバムと名簿ですよ。あなたはお父様をお探しとか…」

「そうです!美術部に入っていて、名前はわからないのですが…母と同じ部活仲間だったんです。」

そう言いながら卒アルをめくっていく。美術部のページを見つけ手を止める。

「パ…じゃなくてタクヤさん!ママがいたよ!」

タクヤと、ルイと校長も覗き込む。

「本当だ、レイナさんだね。学生の頃から雰囲気は変わってないなぁ」

美術室のテーブルを囲んで友達と談笑している様子が写っていた。まだ高校生だけど、その妖艶なオーラが垣間見える。

「君のお母さんは、レイナくんかい?なるほど、確かに似てるはずだ。美術部と聞いてもしかしたらと思っていたよ」

校長が驚いたように言う。すばるはその言葉に弾かれたように校長を見た。

「母を知ってるんですか?!」

「ああ、私はレイナくんが在校時ここの数学の教員だったんだよ。彼女は美人で不思議なオーラのある生徒だったから、よく覚えてるよ。そうか、あの時の子どもが、君なのか」

校長はうんうん、とすばるを見ながら感慨深そうにしている。

「母が高校生で妊娠した時のことを、校長先生は知っているのですね。」

「そう。レイナくんの在校中の妊娠は、当時は校内でも随分問題になった。色んな才能のある生徒だったが、退学して産むことを選んだんだよ。それが君。そして、君のお父さんは…」

校長は写真の中の1人を指差した。

「葉山ヨウ。彼女の同級生だ。」

生徒たちが談笑してる後ろで小さく写っている男子生徒を指差した。
そこにはイーゼルの前に座って木炭デッサンをしている、天パでメガネの大人しそうな青年が写っている。

「…はやまよう…」

すばるはその姿をじっと見つめた。
横顔だけ小さく写ったその姿は、なんとなく遠い昔に見たような、深く眠った記憶を揺さぶった。

「彼は卒業してからレイナくんと結婚して、美大に進んだよ。そのあとはアート界ではちょっとした有名人になったようだけど、今は行方知れずとのことだ。大人しくて人嫌いな、少し風変わりな生徒だったからね。もしかしたら誰もいない場所で1人絵を描いているのかもしれない。」

「居場所が分からないのですか?」

すばるが顔を上げる。

「ああ。名簿に住所はあるけど、おそらく今は住んでいないだろう。数年前に活動拠点を海外に移したと報じられていたからね。親しい人か、美術誌のライターにでも聞いたほうがいいだろうが…彼は天涯孤独の人嫌いだったからね。はたして交流があるかは分からないな」

せっかく父の姿を掴んだと思ったのに、本当に会えるにはまだまだ遠いようだ。すばるは落胆した。

タクヤがその肩にポンと優しく手を置く。

「一応、その住所を教えてもらえますか。あとはライターの方にも当たってみます。」

「ええ。これが住所です。あと、彼は〇〇芸大に進んでいますから、そちらでも情報があるかもしれません」

「ありがとうございます。葉山ヨウと言えば一時期スプレーペインティングやポップアートで世間に注目されて、バスキアのようだと称されてましたよね。まさかそんな有名な人物だったとは。ご協力感謝します」

タクヤが丁寧にお礼を言うと、校長はいやいや、と恐縮した。

「大したことはできませんでしたけど、会えるといいですね、お父さんに」

すばるは複雑な気持ちを抱えながらも、微笑んでうなづいた。


「さて、ではそろそろご準備願えますかな。体育館で機材の準備はできていますので」

校長が少し心弾ませた様子で言った。

「はい、そろそろリハしなきゃね。タク、マイクチェック頼むよ。何歌おうか?」

「オレは飛び入りだから少しだけな!」

すっかりタクヤとフルライブやる気満々のルイをタクヤは笑って諌める。

3人は校長と一緒に体育館へと移動した。

ルイとタクヤがリハをしている間、ステージ袖のところですばるは卒アルに写っている父の姿を見ていた。

この人がすばるの名前をつけてくれた父。愛嬌というものがまるで欠落してるかのようにむっつりとクラスの個人写真に写っていた。

どこか自分と似ている気がする。なんとなく、口元とか。

そうこうしているうちに体育館には生徒たちが集まってきていた。
みんな今日のライブについて何も聞かされていないらしい。

「私さっき廊下でAZEMICHIのルイ見たよ!」
「マジ?じゃあもしかしてライブって、AZEMICHI??」

さっき廊下を通ったので、見ていた生徒たちがざわついている。

AZEMICHIは結構人気があるから、高校生たちにもファンがいるらしい。

(そりゃ、かっこいいもん)

すばるはタクヤを想った。世界一カッコいい恋人。

やがて照明が落とされ、生徒たちはさらにざわつきだす。

「タクヤー!!」

すでにAZEMICHIだとバレて、ファンからのコールが上がっている。

「ルイー!!」

黄色い声援が膨らんできた時、暗闇の中でピアノの音が鳴り始めた。
体育館はキャー!という声援でいっぱいだ。

ルイは暗闇でアップテンポのメロウなイントロを奏でる。そしてAメロ。

これはルイのソロ曲だ。ルイとタクヤはそれぞれソロ活動もしていて、ルイは弾き語りのポップスをたくさん生み出していた。

この曲は他のアーティストに提供し、ドラマの主題歌に使われ、知名度の高い曲だった。

「これってルイの曲だったんだ」
「やば、ルイが歌った方がカッコいい!」

ドラマチックなサビに入ると、高校生たちは手拍子をしたり、感動して泣いている子もいた。

すばるも袖からアリーナに移動してその光景を見ていた。

「ありがとう。ルイです。みんな初めまして。今日は短い時間だけど、よろしくね」

曲が終わりルイが言うと体育館の中はまた歓声で溢れた。

「それでね、今日は1人の予定だったんだけど、奇跡的な偶然で、2人でやることになりました。紹介します、僕の相棒、タクヤ」

体育館の中がどよめいた。キャーという歓声でいっぱいだ。

舞台袖からはタクヤが手を振りながら現れる。

「こんにちわ、タクヤです。ちょっと、いきなり呼び出されてびっくりした。5曲目終わってからって言ったじゃん?」

タクヤがルイに言うと、ルイも会場も笑いが溢れる。

「だって、僕たち揃ったらやっぱり一緒にやりたいじゃん!今日は久しぶりのAZEMICHIのライブだから、ここのみんなに聴いてもらおう」

会場からは歓声と拍手が溢れる。

「こんなふうに喜んでもらえると嬉しいね。じゃあ、ルイ、何からやる?」

「それはもう、もちろんこれだよね」

ルイはイントロを弾く。それはAZEMICHIのデビュー曲だった。CMソングとして使われた、広く知られた曲だ。
高校生たちが沸き立って手拍子をする。

すばるは、タクヤが歌い出したら空気が変わったように感じた。
この人にはそういう力がある。ルイに目の力があるように、タクヤには人を惹きつける特別な「歌声」があるのだ。
きっと高校生たちの多感な心に感動を刻んだに違いない、とすばるは思った。


ミニライブと言いながら1時間半の充実したAZEMICHIのライブは終了した。

高校生たちに大きな余韻を残して、3人は体育館を後にする。

校長室に寄ると校長がトキメキ全開といった感じでルイの手を握って大袈裟に上下に振る。

「いやぁ〜!!素晴らしいライブをありがとう!!生徒たちも素晴らしい時間を過ごしたようだよ。ありがとう!」

ルイもタクヤも嬉しそうにしている。

「そうそう。これをすばるさんに。さっき美術教師に問い合わせてみたら、部室の中にまだ残されていたそうだ。葉山ヨウの作品」

校長は小ぶりなサイズのキャンバスを受け取った。
そこには、油絵で女性が描かれている。

「ママだ…」

若き日のレイナの姿が描かれていた。誰かと談笑している横顔を切り取った姿だ。

葉山ヨウは、レイナの姿をひっそりと見ながら1人キャンバスに向かい絵を描いていたのだろう。

この絵はすばるの心に何か熱い感覚をもたらした。

「美術室に置いておくより君が持っているべきだろうって、届けてくれたよ。」

「ありがとうございます。大事にします」

すばるはその絵を大事に布で包んで、もらった手提げに入れた。

心がヒリヒリして、じんわり涙が出そうだった。この絵からは、葉山ヨウの不器用にレイナを想う気持ちが溢れているようだった。

そして3人はお礼を言って高校を後にした。
校門で待ち伏せていた生徒たちに揉みくちゃにされながら。

なんとか車にたどり着くと、ルイとすばるを乗せてタクヤは黒のボルボを発車させた。









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