忍は子どもの頃から、女の子らしいものが苦手だった。
フリフリの可愛い服も、おままごとも、親がつけさせたくて買ってくる可愛い髪留めもヘアゴムも。
嫌いというか、なんか自分と違う…という感じでしっくりこなかった。
でも女の子とか男の子とか、いちいちうるさかったのも思い返せば子供の頃までだ。
ある程度大きくなれば大人も忍の好きなようにさせてくれた。
忍が家族の間で「女の子」としてみなされなくなってから久しいが、
忍の実家では、母親が毎年7段かざりの立派な雛人形を飾っていた。
『あんた、ひな祭り帰ってきなよ。ばあちゃんも来年はきっと死ぬから今のうちにあんたに会いたいって言ってるよ』
母親から電話が来たのは3月1日の夜。
「ばあちゃん、縁起でもないこと言うなよな…。ひな祭りって、もう明後日じゃん」
『まあとにかく、たまには顔見せてやんな。ほら、あんたの彼氏も連れてきていいから。なんだっけ、あの頭ボサボサの子」
失礼な母親である。自分口の悪さは絶対遺伝だと思いながら忍はため息をついた。
「ボサボサじゃなくて天パって言ってあげて。わかったよ、セナさんに聞いて予定空いてたら連れてく。」
『ああ、天パね!じゃあ天パによろしく!」
忙しなく電話が切れる。
天パっていうか、セナさんだっつーの…
忍はめんどくさそうに頭を掻いてため息をつく。
振り返って、ベッドに横になって漫画(ときめきトゥナイト)を読んでいるセナに声をかける。
「セナさん、あさって。予定ある?」
流石に今一緒に、こんな時間に部屋にいるとは親には恥ずかしくて言えなかった。
「あさって?何もないよ!!あれ?どうだったけな、あー、ちょっと待ってね。えーと」
と言うとセナは「あれ?あれ?」とか言いながらスマホを探し始める。
この多動気質な男は自分のスケジュールを管理しようとしてことごとく忘れる。
スケジュール帳を買ってみてもそれをすぐ無くす。ライブの予定だけは絶対に忘れないのに。練習とか、友達との約束とかすっぽかすのは日常茶飯事だ。
仕方ないから忍がアプリをダウンロードしてやってスマホで管理するようになった。
それなのにそのスマホも時々無くすのだ。
「今かけてやるよ…」
忍は呆れながらセナにコールすると、トイレの棚の上でけたたましくclashの「London calling」が鳴る。
「あーそうださっきトイレで見てた!ありがと!」
セナは慌ててトイレにスマホを取りに行くと、スケジュールを確認する。
「あさって何にもないよ!」
ニッコリと笑顔で忍に言った。
「じゃあ、僕の実家に来る?ひな祭りだから。母ちゃんが、セナさんも一緒にって」
それを聴きながら、セナの目がうるうると、まるで「ぴえん」みたいに潤み出す。
コロコロと表情がよく変わるやつだな…と忍は思った。
「嬉しいんでしょ」
「うん!!めっちゃ嬉しい!!忍さんの実家に行けるなんて…嬉しい嬉しい!!何時に行く?お土産持っていかないとね!!何がいいかな?バナナカステラ?いや、ありきたりだよな、えーと」
と、1人また思考が忙しくなっている様子に笑うと忍は付け加えた。
「うちばあちゃんいるんだ。たぶん来年死にそうだからその前に顔見たいって言ってるんだって。縁起でもないババアだけど、セナさんの顔も見せてやって」
セナが忍をポカンと見つめる。
「おばあちゃんいるんだ。うわー、うわー、超嬉しいなぁ。」
「ふふ、何でそんなに嬉しいの?」
忍は目をキラキラさせているセナのおでこに自分のおでこをつけて上目遣いに見つめる。さっきからセナの反応がかわいくて仕方がない。変なやつだけど、その変なところも忍は愛おしくて仕方がない。
「俺おばあちゃんて子どもの時からいなかったんだ。だから、なんて言うかその、話せるのが嬉しい。しかも忍さんのおばあちゃんに!超楽しみだよ」
セナに抱きしめられてベッドに押し倒された。
「わー!ちょっともう!」
あはは、と笑いながらじゃれ合う。
「お土産一緒に選んで行こうね!忍さん、愛してる!」
「僕も、愛してるよ」
嬉しそうなセナに抱きしめられて忍も幸せを感じながらその夜を過ごした。
ひな祭り当日。
「お土産本当にこれでよかったかなぁ?おばあちゃん食べづらくないかなあ?」
駅で柿の葉寿司を買い込んで2人は電車に揺られる。
「大丈夫、ばあちゃんそれ好きなんだ。それに歯は強いんだよ。きんぴらごぼうも硬いやつが好きで母ちゃんがあえて固く作ってるくらいだから」
そっかー、と安心したように笑顔になるセナ。
「ねぇ忍さん、俺ね、家族っていないからさ、こういう帰省っていうの?近いけど、なんか嬉しいんだ。ふふ」
セナは家族を早くに亡くし、たった1人の兄も一昨年事故で亡くしていた。
天涯孤独の身なのだった。
その寂しさは、忍の想像を絶するものだろうと思う。
幸いこうして忍には家族がいる。普段は離れていても、こういう時にふと気兼ねなく集まれる家族ってありがたい存在なんだと、セナと出会ってから思うようになった。
普通だと思っていたことが、本当は普通ではないのだ。
実家の最寄駅に着くと、忍は母に電話を入れた。
『今兄ちゃんが車で行くから!ちょっと待ってな!』
「え?!兄ちゃん帰ってんの?!」
『うん。昨日から帰ってるよ。じゃ待ってなね!』
また忙しなく電話は切れる。
「マジかよ…」
忍は驚きを隠せない。父と仲が悪くて実家に寄り付かなかった兄がついに実家に帰った。父が亡くなって数年経ったのもあるのだろうけど、もうずっと寄り付かないものと思っていたから。
これから来るのか、と思うとなんだか緊張してしまった。
「セナさん、これから兄ちゃんが来るから。ちょっといかついけどよろしくね」
「忍さん、お兄さんいたっけ?あ、あの車かな」
黒のボルボで駅前のロータリーに乗り付けたのは、ガタイが良くて目つきが鋭い、長髪パーマの男。
忍は後部座席のドアを開く。
「兄ちゃん、久しぶり。帰ってたんだね」
「おう。久しぶり。親父もくたばったし、そろそろババアに顔見せようと思ってな。あれ、そっちの人…」
「こんにちは!!…って、アレ?嵐くん?」
何という偶然か、2人は顔見知りなのであった。
「え?どういうこと?」
とりあえず車に乗り込んで発車させながら兄が話す。
「俺のバンドとセナくんのバンド、対バンしたことあるんだよ。世間は狭いな。忍の相手がセナくんとはなぁ。お前人を見る目あったんだな。」
「嵐くんのバンドとは何回か対バンしてるよね!!毎回コンセプト違うライブしてて超かっこいいんだよね!」
確かに世間は狭い。それにしても忍も同じ音楽業界にいるのに兄とは全然縁が無かった。仲が悪いわけではなかったけど、数年間連絡も取り合っていなかったのだ。
兄のバンドもろくに知らない。兄は自分のバンド以外にプレイヤーで色んなヘルプに行ったりスタジオミュージシャンもしているのだった。
これを機に兄のバンド聞いてみるか…と忍は思った。
「忍はアオハル、頑張ってるみたいじゃん。インディーズで結構売れてんだろ。武内廣治がプロデュースしたって噂ほんとか?あのアルバム良かったぜ」
「えっ、兄ちゃん、聴いてくれてんの?ありがとね…」
唐突に褒められてびっくりする忍。
「悠斗くんと睦月くんも元気?また一緒にライブやろうよ!」
ニコニコしているセナの横で忍は「ん?」と首を傾げる。
「あ、もしかして悠斗ってあの銀髪の美形の子?スタジオでバイトしてる」
「そうだよ。お前知ってるのか。」
「うん。あそこのスタジオの店長に最近世話になったから、顔見知り程度だけど」
嵐は「ふうん」と言うと一瞬無言になってから言った。
「世間は狭いな」
「そーだね。」
そのまま家に着くまで何となく何も話さなかった。無言の車内でもセナは外の景色を眺めて楽しそうにしている。
忍は何となく気まずいまま実家に着いた。
「おかえり!ばあちゃんが待ってるよ。あとお雛様飾ったから見て!」
と元気よく迎えてくれた母。
「あ、今日は、ありがとうございます!俺、忍さんの、か、か、彼、彼ひ、」
盛大に噛んだセナ。母親は爆笑している。
「知ってるよ。彼氏の天パのセナくんだろ?忍に写真見せてもらっただけだったから、会えて嬉しいよ。さあ上がって。」
セナはまたぴえんみたいな顔で感動している。忍は荷物を置いて手を洗うと、セナと一緒に居間に入った。
そこには、デーンとこたつに足を突っ込んで座る婆さんがいた。
「ばあちゃん久しぶり。生きてる?」
「おお、忍かぁ〜!!ばぁちゃん生きてるよ!どうしてるかと思ってなぁ、ばあちゃんいつも気にしてたっけ、立派になって帰ってきて安心したわ〜!あら、そっちのお兄さんがあんたの彼氏?」
ばあちゃんに話しかけられると、セナは雨粒が傘に当たった時のトトロみたいな顔をして嬉しそうに震えている。
「はい、片岡瀬名といいます。忍さんとおつきあいさせてもらっています!今日おばあちゃんに会えるって聞いて、すごく楽しみに来ました!会えて本当に嬉しいです!よろしくお願いします!」
話しながらだんだんライブの時みたいに力が入ってギラギラしてきてしまったセナ。嬉しすぎるせいかサムライモード入っている。
ばあちゃんはそんなセナに頬を染めた。
「何だか面白いけどいい男だなぁ?忍いい人見つけて良かったなぁ〜。お兄さんゆっくりしていきな。母ちゃんが色々作ったからいっぱい食べて行きなよ」
セナはサムライモードのままバッと頭を下げて「ありがとうございます!」とか言っている。
なんか面白えな、と忍は笑った。
隣の部屋には、7段飾のお雛様。
今年も綺麗に飾ってある。とても綺麗だな、と忍は思う。
セナはこんなに大きな雛飾りを初めて見たらしく、いたく感動している。
自分は女ではないけど、こうしてひな祭りの日を理由に家族で集まれるのも悪くはないな、と忍は思った。
「あんたその飾り、1人でやるのすごい大変なんだよ。ばあちゃんはもう腰がイカれてるし、あたし1人でやったんだよ?すごいでしょ?」
母が胸を張っている。
確かにこんな飾りを1人でやるのは大変だろう。
「俺も手伝うって言ったのに、いいよあんたはガサツだからってやらせてくれなかったんだろ…」
嵐がポツリと言う。
「あんたじゃ人形の頭持って取れちゃうのがオチでしょうが。まあとにかくね、また来年も元気なら飾るから、毎年あんたたち見においで。さあさあ、ご飯食べよ!」
忙しない母の後に続いて居間のこたつに入ると、次から次に運ばれてくる料理をみんなで食べた。
久しぶりに会った兄とも次第に打ち解けて、楽に話せるようになってきた。
そもそも兄は昔から忍には甘くて、何かと気にかけてくれたのだ。疎遠になっていた数年間も、ずっと気にして忍の活動を見守ってくれていたのだろう。
セナはばあちゃんに好かれたようで2人で楽しそうに話している。どうもセナは年寄りと相性がいいようだ。
一通り料理を出すと母がこたつに入ってきた。
「ふう。もうそろそろこたつも終いだね。今年は嵐も帰ってきたし、みんな揃って嬉しいわ。セナくんもね」
「俺も来られて嬉しかったです。こんなにたくさんの料理とか、雛人形とか、俺には縁がなくて…ありがとうございます!俺ずっと忍さんを大事にしますから!」
そんなことを言い放ったので忍はレモンサワーを吹き出しそうになった。
「ふっふふ。あの強情な忍にこんなパートナーができるなんてねぇ。女じゃない子だけど、よろしくね天パ…じゃなくてセナくん」
そんな恥ずかしいやりとりやめてくれ、と思いながらジト目でセナを睨む忍を見て嵐が笑う。
「嵐もまたおいで。みんな近いんだからさ。」
嵐は仏壇のところの父親の遺影と目が合う。
生前は散々ケンカしてろくでもない親子だったけど、なんだか父親までまた来いよって言っているような気がした。
「ああ、また来るよ」
嵐はそう言って笑った。
母親の運転で駅まで送ってもらったのが夜10時前。
泊まって行ってもいいよ!と言われたけど次の日の予定もあったので、母親にお礼を言って嵐も忍もセナも帰路についた。
電車の中でセナが言う。
「俺本当に楽しかった。今日呼んでくれてありがとう」
「セナくんが親戚になるのは大歓迎だしな。また帰ろうぜ。」
嵐とセナが並んでいるのがまだ不思議な感じだけど、忍も嬉しかった。
「あ、じゃあ俺ここで降りるから。2人ともありがとう!また!」
セナはニコニコしながら忍と嵐に手を振って電車を降りて行った。
「お前がセナくんと付き合ってるとはなぁ。仲良くやれよ。今度一緒に飲もうぜ。渋谷の「天」て店よく行くんだ。いい店だぜ」
「は?兄ちゃんも常連なの??僕もよく行くんだけど。つくづく、今までよく会わなかったよなぁ」
「マジか?…ハハハ、縁がない時は無くて、こういうことがきっかけでまた戻ることも、あるよな。じゃあ、またな。元気でな」
嵐はそういうと、本当に久しぶりに、忍の頭をクシャッと撫でて電車を降りて行った。
何だか懐かしくて嬉しかったし、兄が自分が知ってるより大人の男になったのを感じた。
「…縁が、戻る、か…」
ひな祭りと母ちゃんとばあちゃんのおかげで、兄ちゃんとまた仲良くなれた。セナとの繋がりも知った。
あんまり考えてなかったけど、年中行事も悪くないな、と忍は思って1人微笑んだのであった。
おしまい
空想都市一番街
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