愛美は産まれたばかりの子どもを抱いて、レイジの家に帰ってきた。
「レイジさん。あなたの子どもよ」
体力が落ちて寝たきりが増えたレイジも、起き上がってそっと子どもを抱いた。
「ああ、可愛い子だ。君にずっと会いたかったよ。愛美ちゃん、ありがとう」
レイジはエネルギーが戻ったように生き生きと喜んで子どもを抱いた。
「元気な女の子よ。目元はあなたにそっくり。ねぇ、この子の名前、つけてあげて欲しいの。何か考えていたんでしょ?」
まだ首の座らない我が子を抱きながらレイジはうなづいた。
「ああ、色々考えていたけど、最後にはこの子の顔を見て決めようと思っていたんだ。」
まだ目の開かない小さな赤ん坊の顔を見つめるレイジ。
その様子を愛美もじっと優しく見守っていた。
「顔を見てすぐ決まったよ。君の名前は……」
「ナギ!!」
ドタバタと下から階段を登ってくる音と叔母さんの大声に、愛美はハッと我に帰る。
「ママー!!」
両手を広げて走って来た子どもが愛美に抱きついた。
「あら、ナギ!どうしたの、まだ保育園でしょ?」
「ううん。あたまあついあついの」
「ええっ?」
そういえば赤い顔をしている。下からドタドタと上がってきた叔母が呆れたように言う。
「そうだよまったく、この子は熱が出たって電話きたから迎えにいったら、途中でママに会うって勝手に手を振り解いて走ってっちゃうから…まだ3つのくせに階段登るのも早いし、ああ、疲れたもうっ」
叔母が畳の上で息を切らして伸びている。
「そういうわけだったのね。叔母さんありがとう!本当だお熱あるね、おでこもあっつい。ナギ、あたまあついあついの時は、沢山走ったりしちゃダメよ。
それに、叔母さんのお手て勝手に離しちゃダメよ。車に轢かれたり、階段からおっこっちゃうかもよ?」
言い聞かせると、ナギはふんふん、とうなづいている。
「このいたずらっこ!!」
叔母が憎々しく叫ぶ。その様子がおかしくて愛美は笑った。
「ねえママ、パパといたの?」
突然ナギがそんなことを言う。
「どうしてそう思うの?」
ナギはもじもじしながら答える。
「ママ、パパといた時のお顔してたから。」
レイジは我が子に名付けた半年後に息を引き取った。医者の宣告よりもずいぶん長生きをした。我が子の存在が力になったのだろう。
だけどそんな時のこと、この子が覚えてるわけないのに。
「うれしそうだったよ。ちゃんとみてたよ。」
ナギの言葉に愛美は溢れる涙を必死に堪えて、ナギを抱きしめた。
ちゃんと見ていたのだ。
そして、本当はずっと悲しみを引きずっていることも、この子にはお見通しのような気がした。
今こうして少し思い出に浸るだけで、あの頃のような顔をする自分。
「ママ?」
「ママは今パパのことを思い出してたの。ここにパパはもういないけど、思い出せばいつでも会えるのよ。だから嬉しかったの。ママは今はあなたがいるから幸せよ。」
小さなこの子にどこまで分かったのか分からないが、母の言葉にふんふんとうなづいている。賢い子だからきっと分かるだろうと愛美は思った。
「パパ、ナギもおぼえてるよ。おひげ、しろいかみのけ!」
「覚えてるんだ!そうね、会えるのよ。心で話しかければね」
親子のやりとりを叔母は黙って聞いていた。
年端も行かない癖にあの人の子供を産むって言って聞かなかった愛美。強情で聞かない娘だと、半ば呆れて好きにしなと言い放ったあの日のことを今も思い出す。
レイジは愛美と婚姻はしなかったが、この家や土地や財産を全て愛美に譲るという遺言を残していた。ここを残してくれてもいいし、好きにしてくれていい、と言葉を付け加えて。
若い愛美をこの場所に縛り付けるようなことはしたくなかったのだろう。
財産なんかどうでもよかった愛美だけれど、この家を託されて、色々と考えたのだった。
ただ住むには広いし、なにかこの家の良さを知ってもらうような方法はないかと。
そして、一部を居住空間、他をカフェとして開放することにしたのである。カフェを営業中は叔母の家や保育園にナギを預けていた。
叔母のうちの茶葉を使い、美味しい飲み物を出して、
たくさんの思い出が残るこの家の素敵さを他の人にも知ってもらいたい。
そう思ったのだ。新しく誰かの安らぎの場所にもなれたら、と。
そしてもちろん、もう一つの夢も忘れてない。
いつか小学校の教諭になる。
教員免許はしっかり取得してあった。このカフェを人に任せることになると思うけど、ナギがもう少し大きくなるまでは自分で切り盛りすることに決めたのだった。
「叔母さんのお家に帰ってねんねするのよ。ママお仕事終わったらお迎えに行くから」
ナギはふんふんとうなづく。
この子は何かを理解する時いつもこうするのだった。よく考えるとこの仕草は、時々レイジもやっていた。こんなことも遺伝するのだなと不思議になって愛美は笑った。
叔母がもう勝手に走っちゃダメだかんね!と悪態をつきながらも優しくナギの手を引いて帰って行くと、入れ違いにお客さんが来たようだ。
「お姉さん!よかったお店休みじゃなかった。お茶してもいい?」
来たのは優里だった。その後ろには、いつも連れてくるルイがにこやかに立っている。
「まあ優里ちゃん、ルイさん、いらっしゃい。もちろんよ!さあどうぞ」
二人を二階の、いつもの部屋に通す。
「あれ、なんだか窓がいつもよりすごく綺麗ですね。こんなに大きな窓、お一人で拭いたんですか?」
ルイが海の見える窓を見ながら言った。
「あ、ええ。今日は大晦日ですから、午前中いっぱいかけて拭いたんですよ。こう見ると結構汚れてたんですね。」
「お姉さん朝から重労働だったのね。おかげでいつもよりすごく綺麗に海が見えるね」
優里が窓際に行って外を眺める。
「その窓、もうその細工が出来る職人さんはいないのよ。たかがガラスだけど、ガラスによってそこから見える景色は変わるの。その細工から見える海も綺麗よ。きっとずっと見ていても飽きないわ…」
いつもと少し違う愛美の様子に、勘の鋭い優里は気づいた。そして黙って言われる通りにしてみる。
「…ほんとね。キラキラして、でも揺らいでいて、すごく綺麗」
愛美はとても嬉しそうな顔をした。
「ゆっくりご覧になってね。飲み物は、いつものにします?」
2人がはい、とうなづくと愛美はキッチンに去って行った。
「ここはお姉さんにとって特別な家なんだろうね。きっと、特別な人と過ごしたんだろう。そうでなきゃ、窓ガラスひとつにあんなに愛情籠った顔はしない。…そう思わない?」
優里はうなづく。
「あたしもそう思う。お姉さんは、この家自体をまるで大切な恋人みたいに扱ってるみたい。思い出がきっとたくさんなのね」
2人は美しい細工のガラス窓から海を見つめた。ここに住んでいたあの詩人「レイジ」と同じように。
おしまい
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