本格的に冬に入ると、レイジは体調が悪くなって公演旅行をキャンセルせざるを得なくなった。
何度か入退院して、結局今はこの古民家の2階の部屋の窓際にベッドを置いて過ごしている。
体調が良い時は畑仕事をして、悪い時は数日寝込む。
時折起きて、ギターを持って歌う。
そんな日々の中に、愛美がそばにいた。
ご近所でも二人のことは知れ渡っている。苦言を呈するものもいたが、ほとんどの人が二人をそっとしておいてくれた。
「レイジさん。今日分かったことがあるの。」
夕食を終えてお茶を飲んでいる時愛美が言った。
「赤ちゃん出来てた。3ヶ月だって。」
「え?」
レイジはポカンとして顔を上げた。
「私とあなたの子どもよ。うふふ」
レイジは心の奥から、じわじわと湧き上がってくるものを感じた。
「は、はは、そうか!…嬉しいな!」
自分の血を引く子供がこの世界に生まれてくるのだ。なんだか夢のようだ。
愛美の腹にそっと触れてみる。
「まだ大きさはそんなに変わってないわ。でもここにいるのよ。あなたの血を引く子が」
愛美が嬉しそうに笑った。肝が据わったこの娘は、この先起こる悲しみや辛さや沢山の課題、そんなことも全て分かった上で今ここの幸せを噛み締めていた。その姿は逞しくもあった。
「この子に会えるまで、生きたいな。」
それはただ風の流れのままに生きてきたレイジの、初めての生への渇望だった。
「何言ってるの、当たり前じゃない。レイジさんはこの子にきっと会えるわよ。この子があなたを生かすわ。楽しみに待っててね。」
愛美の声を聞いていたら、何だか本当にそうなるような気がした。不思議な娘だ。
この腹の中の子が、今死にゆく老ぼれと反対に、生まれゆく命として成長していっている。
「君の叔母さんと叔父さんに謝らないといけないな。夢を持って前途洋々な姪っ子を、片親にさせてしまうんだ。きっと、俺は恨まれるだろうな」
「あらどうして?叔母さん、よろこんでたわよ?新しい家族が増えるって言って。あの人は分かってるもの。私が言い出したら聞かないってこと。」
愛美はそっとレイジの肩に頬を乗せた。
「私、決めたら必ずそうするの。大人になったら、この人!って思った人の子供を産むってずっと決めてたのよ。それであなたに会った。私、もうずっと前から、あなたの子どもを産むって決めてたの」
なんて力強さだろうか。
ずっと前から決めていたなんてちっとも気が付かなかったし、レイジは面食らってしまいそうだった。
この娘の中にある情熱。女としての本能の強さ。
自分はそれに選ばれたのだ。
「君はとてもいい女だ。こんな女神に死に際に見染められるなんて、俺は幸せ者だな。」
愛美とお腹の中の子をこの先も長く愛していけないことがとても残念だった。願わくば、自分が逝った後、二人を守ってくれる善良な人間に末長く愛されるように。レイジは祈った。
季節は過ぎて行った。
レイジは徐々に弱っていった。もはや畑仕事をする力も失われていた。
死の床で思うのは、愛美と子どもに会いたいということ。
産院では、愛美が今子を産もうとしていた。
陣痛の痛み、産みの苦しみ。
まるで経験したことのない苦痛が波のように襲ってきた。
それでも愛美は思っていた。
あの人の子どもを産む。
自分はこのために生まれてきたんだと。
7月、緑が青々と力を漲らせていくころ、新しい命は産まれた。
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