伊織はたくさんの料理を作ってくれた。
パスタ、ローストビーフ、ハンバーグ、マッシュポテト、ベビーリーフサラダ、クラムチャウダー、レバーパテ、ガーリックバケット、チキン香草焼き、にんじんグラッセ、などなど…
コウタは野菜をカットしたりを手伝ったが、それが終わってしまうと手伝えることが無いので、伊織が料理を作るのをそばで見ていた。
母がこうやって自分に料理を作ってくれたことを思い出す。
とても懐かしい気持ちだった。誰かが料理を作ってくれている音は、安心する。
しばらくして、出来上がったご馳走をテーブルに並べる。
伊織はペリエを自分のグラスに注ぎ、コウタにはオレンジソーダを注いでくれた。さっきスーパーで何がいい?と聞かれて、コウタが選んだものだ。
そしてワクワクしながらコウタは席につき、伊織と目を合わせて微笑む。
「さあ、食べよう」
「はい!いただきます」
ご馳走の数々に目移りしながらも、コウタはまずハンバーグを食べる。
「うわあ…っ!伊織さん、すごく美味しいです!」
目をキラキラさせてコウタが言う。伊織は優しい目でその様子を見つめる。
「口に合うようでよかった。沢山あるからな。好きなだけ食べるといい。」
そう言って伊織は初めて会った時のように、美しい所作で料理を食べるのだった。
「伊織さんは食べ方がとても綺麗ですね。お金持ちだし、子供の頃から教えられたんですか?」
仕事中はあまり入り込んだ質問はしないのがセオリーだけど、伊織には聞いてもいいように思えて、思い切って聞いてみる。
「ああ。俺は音楽家の家に生まれてな。裕福な家でマナーも子供の時から厳しく躾けられた。だから嫌だったけど、結果的に身に染み付いてしまったな。」
音楽家の家の生まれと聞いたものの、コウタにはそれがどんな暮らしか想像もつかない。
「伊織さんも音楽をなさるのですか?」
超絶に美味いローストビーフにホースラディッシュとソースを絡めながらコウタが続けて聞く。
「俺は子供の頃からチェロとピアノを習っていたよ。共に音楽家だった両親の意向でな。」
「チェ?…ってなんですか?」
生まれてからずっとスラムで過ごしてきて、あまり物を知らないコウタは首を傾げる。流石にピアノは知っていたが。
「チェロ。弦楽器の一つだ。バイオリンを大きくしたような楽器だな。ここでは楽器演奏を聴く機会もそう無いだろうから、知らなくても無理はないな」
伊織は静かに微笑んでペリエを飲む。
「バイオリンなら知ってます。子供の頃、裏路地で弾いているおじさんがいました。すごく綺麗な音色だった。あの楽器の大きいのがあるんですね。どんな音するんだろう…いつか見てみたいなあ」
コウタはふんわりと微笑みながら食事を楽しんでいる。
「そうだな。機会があったらお前を演奏会に連れて行こう」
「わあ、行きたいです。伊織さんが演奏してるのも聴きたいなぁ」
「ん、そうだな…機会があったらな」
そして2人は他愛もない話をしながら食事を楽しんだ。
人とご飯を食べるのって、楽しいな。
コウタはそう思った。
母を亡くしてから、人とゆっくり食事をしたことなど無かった。この前のレストランも美味しかったし、久しぶりに手料理を食べられて、その時間を伊織と共有できてとても嬉しかった。
一通り料理を食べ終えてテーブルを片付けると伊織が聞いてきた。
「さすが食べ盛りだな。あんなにたくさん作ったのにほとんど残らなかった。デザートは食べられるか?」
コウタはにっこり笑う
「もちろんです!」
17歳のコウタは見ていて気持ちがいいくらいにペロリと食事を平らげた。
「デザートはローストナッツ入りチョコブラウニーだ。お茶かコーヒー飲むか?」
「美味しそう!えっと、お茶が飲みたいです。俺も何か手伝います」
「いいよ。今入れてくるから、待っててくれ」
伊織がキッチンに行ってしまうと、コウタは幸せにため息をつきながらふと思った。
そういえばこれ仕事なんだよな…他の人の時と違いすぎて忘れそうになる、と。
どんなにいい思いさせてもらっても、派遣型風俗の仕事で来てることを忘れないようにしないと、とコウタはちょっと背筋を伸ばした。
今日は伊織も何かしたいかもしれないし、無防備にデザートまで食べてぼんやり眠くなったりしてはならないと心に思ったのだった。
「コウタ。ダージリンティーだ。熱いから気をつけろよ」
伊織がデザートと一緒に紅茶を持ってきて、カップに注いでくれる。
自分はエスプレッソを手に席につき、一緒にデザートを食べる。
「美味しい…っ!俺、チョコレート大好きなんです。ナッツもたくさん入っててすごく美味しいです!」
コウタは甘いものに心も解け、とても幸福を感じた。
伊織は料理が上手いしコウタのさらに上を行く気配りで、今日は会ってからずっと甘やかされ続けている。
「よかった。果物アレルギーでも、チョコレートなら大丈夫だな。」
「気を遣ってくれてありがとうございます。この後はお礼に、伊織さんにマッサージとかさせてくださいね。伊織さんがして欲しいこと、何でもしますから」
なーんて、言っていたのに…。
その後2人で片付けをした後、気づいたらふかふかの広いソファで伊織に肩を抱かれて、広い胸に寄りかかって一緒に映画を見ていた。
(あれ?)
コウタはハッとした。
また俺甘えてる。しかもデザートも食べたのに、さらに伊織に買ってもらったベアグミの袋に手を突っ込んで食べながら。
なんだこのリラックス感は。
伊織さんに膝枕したかったのに何でこうなってんだ…とコウタは自責した。
だけど…
映画面白いし、グミ美味しいし、しかもこんなに気持ちいい胸で、こんなに優しく撫でられてたら…
流石にコウタも眠くなってきてしまうのである。
寝たらダメだ、と船を漕ぎながら何度も持ち直して、グミを食べて、また船を漕ぐ。
そんなコウタに伊織はポンポンと自分の太ももをたたいて言う。
「おいで」
コウタが半分寝た目で伊織を見上げると伊織は一瞬顔を赤くしたように見えたけど、すぐ普通に戻って微笑む。
伊織の優しい声と大きな手とあったかい膝。
もはや抗いようがない。
コウタはグミの袋を抱えたまま吸い込まれるように膝枕されると、伊織に撫でられながらまどろんでいった。
どれくらい寝たのだろうか。
気がつくとベッドの上。コウタがぼんやり現状を把握しようとしていると、頬杖をついて隣で伊織がコウタを見下ろしていた。
「わ!…伊織さん、すいませんまた俺寝ちゃいました」
「いいんだ。前も言ったように、俺と会っている時は甘えるのが仕事だと思えばいい。お前の寝顔が心地良さそうでつい見ていた」
優しく言われるものだから、コウタはちょっと頬を染める。
「でも…とても嬉しいんですけど、俺甘やかされてばっかり…。どうして伊織さんは、俺にこんなに良くしてくれるんですか?俺みたいな仕事をしている人を助けるのが好き、とか?」
コウタがつい気になって聴くと、伊織は首を傾げた。
「いや、俺が助けたいというか、甘えさせたいと思うのはお前だけだが。」
そんなことを聞いてますますコウタは分からない。
「どうして、俺のことを?出会ったばかりなのに、伊織さんははじめから俺のことずっと甘やかしてくれて…何でかわからないから、少し申し訳ないです。お客様の私情に口を挟むようなことは失礼だと分かっているのですが…」
伊織がどうして自分に優しいのか、コウタはやっぱり理由が知りたかった。
「うーむ…まあ、お前がそう思うのも無理はないな。よくわからない男が急に、自分に甘えろと言ってきてもな…。」
ふう、と伊織は軽くため息をつくと話し出した。
「俺はある知り合いからお前のことを聞いていた。その人のことは明かせないが、とてもいい子だと。そして俺はスラムでの仕事も多いから、たまたまお前のことを見かけることが何度かあったんだ」
伊織は言葉を切って、コウタを撫でながら次の言葉を探しているようだった。
「その……、
お前はいつ見ても、笑顔でな。優しくて、子供達に自分の分まで食べ物を与えたり、困ってる人を助けたり。いつ見てもそうだった。いつでもだ。
お前はすごいなと見るたびに思っていた。
そしてきっと、お前自身は人に甘えることはあまりないのだろうなと思ってな。デリの客なんて性急な奴らばかりだ。だから俺がお前を買って、せめてその時だけはお前のことを甘やかしてやりたいなと思ったんだよ」
伊織の言葉にコウタは驚いた。たまたま見られていた時があったなんて全然気づかなかったし、自分を見てそんなことを思ってくれていたなんて。
「おい、どうした?驚かせてしまったか?すまん、勝手に姿を見たなんて気持ち悪かったか…」
気づくとコウタは涙をボロボロ流していた。伊織は大いにあわてている。
「悪かった、お前を見たのは本当に偶然なんだ。ストーカーではないから、怖がらないで欲し」
「違います…!!怖がってるんじゃないんです」
コウタは伊織の胸にピッタリとくっつく。
「そんな風に思ってくれて嬉しいんです…ありがとう、ございます…うっ、ひっ、ううっ、ズビッ…」
陰ながら自分を見ていてくれた。自分このことを褒めてくれた。
誰かに褒められたくて生きてきたわけではないけど、コウタは初めて、誰かに認められた気がした。
伊織が縋り付いて泣き続けるコウタを抱きしめて優しく撫でる。
「お前に嫌われなくて良かった。…いい子だな。」
しばらく撫でた後、伊織はコウタの目を覗き込むと、涙に濡れる目元にキスをした。
チュッ チュッ
と軽い音を立てて優しくゆっくり、何度も目元にキスをする。
「ん…」
コウタはゾクリと甘い感覚に襲われる。
伊織の唇が瞼に触れるたびに鼓動が高鳴る。
「伊織さん、キス、して下さい…」
コウタがたまらなくなって潤んだ瞳を向けると、伊織はサラリとコウタの髪をかきあげて微笑む。
「どこに?」
意地悪そうに言ってくるけど、大人の余裕の中に、少しだけ余裕のない伊織を感じる。
「くちびるに…」
反対にもう余裕なんて無いコウタが泣きそうな顔をして言う。
その表情が伊織の気持ちを余計に昂らせたようだ。
優しく唇を合わせると2人は何度も軽いキスを交わす。
「んん…」
浅く開けた唇から伊織と舌を絡ませると、声が溢れ出る。
「…コウタ、かわいいな」
ちょっと野生の雄がはみ出してきた伊織が、コウタを見つめて言う。
コウタはもうそれだけで頭の中がとろけてしまいそうだった。こんなのは初めてだった。
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