少年伊織とボス(番外編)

暁音(伊織の名前)は、家族を殺した殺人鬼「ハン」にさらわれスラムに連れてこられ、陵辱と暴力を受けていた時にマフィア「闇猫」のボスに助けられた。

療養して心身を治療するのにしばらく時間がかかったが、その後暁音は闇猫の訓練所に入り、そこで徹底的に格闘技や武器の使い方、マフィアの生き方を叩き込まれることになった。

それまで音楽家の家で生まれ育ち、ピアノとチェロに明け暮れていた暁音の生活とは一変したが、暁音はここでどんな苦しみにも耐えるつもりだった。

絶対に強くなって、もう誰の暴力にも屈したくなかったし、なによりも
「ハン」をこの手で殺すこと、それを唯一の希望として暁音は生きていた。

線の細い体だった暁音は訓練についていくのにも苦労したし、教官には叱られたし、同期生にもいじめられた。

弱い体だっただけでなく、暁音は全く笑わない、誰とも付き合わない近寄りがたい人間になっていたし、助けてくれたボスに可愛がられていたのもいじめられる原因だった。

その日も、訓練が終わり寮に帰る道で同期生に囲まれた。

「よお。相変わらずシケたツラしてんねえあかねちゃん」

暁音より少し年上の同期生が暁音の足を蹴り飛ばして転倒させた。

ドッと笑い声が上がる。

「お前弱いくせに目だけはガン飛ばしてきやがっていつも生意気なんだよ。ボスのお気に入りかしらねえけど、イライラするぜ」

襟首を掴まれて無理やり引き起こされる。
その間もずっと暁音は無言で相手の目を見つめている。

「…なんか言えよコラァ!!」

左頬を同期生の拳で殴られる。

勢いで倒れ込み、鼻血が出て唇が切れた。

「女みたいな名前しやがって。生意気なんだよ。お前ら、痛めつけてやろうぜ」

周りのものもけしかけて、同期生達は一斉に暁音に蹴りを入れ始める。

暁音はじっと無言で体を丸くして耐えた。

「チッ…面白くねえな。お前ら、この辺にしとこうぜ。口答えの一つも出来ねえ根性なしが。なんでボスがお前を気に入ってるのか全然わかんねえな。」

口々に暁音を罵りながら同期生達は去っていった。


しばらくして暁音はヨロヨロと立ち上がる。

袖で口元を拭うと血が付いた。
それをぼんやり見つめる。

痛みというものが、遠い世界の出来事のように感じられた。
同期生にどんなに殴られようが、教官にどんなにきつい訓練をさせられようが。

体力がついていかなくてしんどいと思うことはあったけど、

でも痛みは壁を隔てた違う世界にあるようだった。

自分が受けたあの地獄のような体験に比べたら、
全てが些細なことに思えた。


今は弱い。体も細い。力も無い。
でも、自分は必ず強くなる。興味の無い有象無象の人間に何をされようが構っている暇などないのだ。


暁音は、ふぅ、とため息をつくと寮を目指して歩いた。
もし今涙がでたら、少しは心が溶けるかもしれない。でも一向に出る気配はない。

スラムに連れ去られてボスに助けられた日から、暁音は泣けなくなった。何があっても涙が流れることがなくなった。心の何かに固く鍵がかかってしまったようだ。きっと、暁音自身の心を守るために。


寮に帰り着くと、ボスの車が停まっていて、暁音の姿を見るとボスが助手席から降りてきた。

「よお、久しぶりだな暁音。…あれ、なんかこっぴどくやられてんなぁ?血の気が多いクソガキどもにやられたか?」

「…うん、まあ。でも、どうでもいいんで。何か用ですか?」

ボスは人懐っこく笑うと暁音の頭をポンポンと撫でる。

「お前にはその辺のクソガキなんか見えてねえもんな。今日は一緒に飯でも食おうと思って来たんだよ。何が食いたい?」

「え…いつも、ご馳走になっていて悪いです」

「なんだお前水臭いこと言うなよ。お前は俺の息子みたいなもんだろ。俺がお前と飯を食いたいんだ。遠慮するな。そうだ新しくできた焼肉屋行くか。評判いいしな。よし、ほら車に乗れ」

暁音は背中を押されて後部座席に乗る。

ボスはたまにこうして暁音をご飯や映画や買い物なんかに連れて行ってくれた。
それが他の同期生の嫉妬の的にもなっていたのだけど、暁音はとても嬉しかった。いつも本当の父のように、気さくに暖かく接してくれるボスを、心から慕っていた。

ボスの前では無意識に表情も少し明るくなり、時々笑顔のようなものも出た。

「俺のせいで嫉妬されてるんだろ?ふはは、悪いな。でもお前はそんなこと全然気にしてないだろ。お前がちゃんと別なところに目を向けているのを知ってるよ。今はまだ弱いからやられてるけど、そのうち誰もお前には手を出せなくなる。明確な目標がある人間は強い」

ボスは助手席からちらりと後ろを向いて笑う。

暁音はそう言われて少し嬉しい気持ちになる。

「でもなあ暁音。それだけだと少し弱い。そういう奴は目標を失ったとたん、糸の切れたタコみたいになっちまうんだ。お前が見てるものが無くなった後、お前は何を見る?」

見てるものが無くなった時?

暁音はボスの言葉を聴きながら考える。

「死ぬまで命は続いてく。生活って奴は続くんだ。見てるものが無くなった時に手元に何があるか。別の何を見て生きるか。少しだけでいい、考えてみろ。目標が無い生き方ってやつもある。これから色々、考えていけばいい。…お前は頭がいいからつい難しいこと言っちまうけど、まだ12だったな。ははは、まあ焦らずな」

暁音は、はい、とうなづくと今聞いたことを忘れないように頭の中で復唱した。

他のことなんて今は考えようがないけど、いつか、少しだけ考えられたらいい。


焼肉屋に着くと、ボスは腹一杯奢ってくれた。

育ち盛りの暁音は食欲には勝てない。少しは遠慮しようと思っていたのだけど、抗えずにどんどん食べていく。

そんな暁音を見てボスもニコニコしている。

「たくさん食べて大きくなれよ。俺もなぁ、昔はお前みたいに明確な目標があったんだよ。」

ビールを飲みながらボスがポツリと話す。

「でも、それを無くしてしまってなぁ。辛かったよ。俺の全てだったからな。しばらく酒飲み倒して廃人みたいになってた。」

暁音は驚いて顔を上げる。

「ボスにそんな時があったんですか?」

「ああ、あったぜ。控えめに言って地獄だったな。でもなぁ、一回どん底まで行って落ち切ったら気付いたんだよ。ああ、あとは上がるしかないんだなって」

ボスはビールをグイッとあおる。

「目標のために築き上げてきた力を、大切なものを守るために使ってみようって思ったんだ。
そうしたら、それまで自分のことしか見えちゃいなかったことに気づいたよ。誰かを守るっていいもんだなって分かった」

暁音はじっと目を見て話を聞いている。

「お前の目標がもし失われてしまっても、今身につけていることは一つも無駄じゃない筈だ。いつか自分だけじゃなくて誰かを守ることもできる。それを忘れるなよ」

暁音はうなづいた。
ボスの言っていることは、きっと自分の人生にとても大切なことなんだと感じた。

「ハハ、なんだか説教臭えなあ?悪いな。それにしてもお前、いつも思うけど綺麗に食べるよな。マナーが身についてる。さすがだな。いいところは大切にしろよ」

「…はい。ありがとうございます」

褒められて暁音は少し恥ずかしくて目を逸らす。
ボスはいつも気さくでたくさん褒めてくれる。家族を失った暁音にとって暖かさの拠り所だった。

食事が終わり、車で寮に送ってもらうと暁音はボスに礼を言った。

「いつも、本当にありがとうございます。すごく美味しかったです。」

「おう。また来るからな。元気に頑張れよ」

ボスはまた暁音をくしゃくしゃと撫でると、運転手に合図をして走り去って行った。

暁音は寮の部屋に帰ると、今日ボスに言われたことを考えていた。

ハンを殺す。

そのために強くなりたい。
自分を守るために強くなりたい。

でも、それだけじゃなくて、

もしも、もしもいつか自分に大切な誰かができたら、その人を守れる人間になりたい。


暁音はボスの話を聞いてそう思ったのだった。


まだ12歳。
暁音がメキメキと力をつけて体も大きくなって誰よりも強くなって、コウタと出会うのはまだまだ先のお話。


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