愛美は教育実習中は、しばらく忙しくてレイジのところに行けなかった。
本当は話しに行きたかったけど、毎日レポートが山のようにあってとても時間が作れなかったのだ。
ようやく無事に実習が終わったあと、その足で愛美はレイジの古民家を訪れた。
「レイジさん、こんにちわ」
庭の戸に鍵はかかっていなかった。いつも通り縁側に向かって愛美は声をかけるが、返事が無い。
「出かけてるのかな?庭の戸が開いてたから、公演旅行に行ってるんじゃないと思うけど…」
庭も一通り見てみたけど、レイジの姿は見当たらない。
何か買い物にでも出てるのかと思ってしばらく待ってみたが結局レイジは戻らなかった。
愛美が諦めて下宿先に帰ると、叔母が言った。
「レイジさんね、今日倒れてたのが見つかって運ばれたんだよ。」
帰宅して1番に叔母が言ったセリフに愛美は驚いて心臓がドキリとひっくり返りそうに高鳴った。
「お向かいのおばさんが今日ジャム作って持って行ったら、居間の畳の上に倒れてたんだって。救急車呼んだり大変だったんだよ」
「そ、それで具合は??今どこに?」
愛美が唇をかすかに震わせながら言葉を絞り出す。
「中央病院に運ばれたって。あの人家族がいないから、お向かいのおばさんが付き添いでついて行ったんだけど、救急車の中で目を覚まして自分は末期ガンだって救急隊に言ったんだって。」
愛美は乾いた唇を噛んだ。レイジは一度もそんなこと言ったことがなかった。
「脳梗塞かなんかかと思ってたけど、まさか末期ガンだったなんてね。さっきうちの父ちゃんが軽トラであの人の着替え持って行ってやったんだよ。面会はできなかったらしいけどね」
音楽に興味のない、ぶっきらぼうな叔母も、いつも作物をたくさんくれる大人しい男に情を感じているようだ。
頬に手を当てて気の毒そうにしゃべる叔母の顔を見ながら、愛美は頭の中をなんとか落ち着けようとした。
いつもおおらかで肝が座っていて、取り乱したりしない愛美だけど、やっぱりその時ばかりは無理だった。
「叔母さん!わ、私、行ってくる!!」
愛美は靴を履くのもままならないまま、今帰ったばかりの玄関を飛び出していった。
「え!?ちょっと愛美!!」
後ろから叔母が何か叫んでいたが聞こえなかった。少しでも早くレイジの元に行きたかった。
「このガンは発見が難しいからな。知った時にはもう末期だったっていうのはよくある話だ…アンタの場合は場所が悪い。治療も効果が出ないかもしれない。持って半年ってところだ」
点滴に痛み止めを加えながら、歯に絹着せぬ物言いの医者が言う。レイジは笑った。
「そうか。最後にアンタみたいな正直な医者に当たってよかった。あと半年か。」
医者は黙って聴診器を当てている。
「今後どうするつもりだ。何か考えてるんだろ。医者としては当たり前に、仕事を辞めて病院で治療するかホスピスにでも入るのを勧めるがな」
医師はレイジのベッドの横で喋りながら、カルテに何かを書き込んでいる。
「治療はしない。このまま暮らすさ。俺は死ぬまでミュージシャンで、死ぬまでアマチュアの農家。どこで死のうと悔いはないんだ」
医者はペンで頭をかいて苦い顔をしている。
「本来なら退院させないところだがな。あんたは今日のようにいつ倒れてもおかしくない。…痛み止めくらい出させろ。どうせなら出来るだけ、死ぬまでいつも通り過ごせるようにな」
医者の言葉に微笑むレイジはまるで、大人しくて優しい顔をした大きなオオカミのようだ。
「ありがとう。話がわかるね、先生。」
「治療しない意思のある患者に無理やり治療を勧めるほどこっちは暇じゃないんだ。じゃあ、検査が終わったら好きな時に退院してくれ。」
そう言うと医師は部屋を出ていった。
レイジは病室の天井を眺める。
「死に損なった」な。
神はまだ俺に、この世界でやることがあると言っているのか。
そう思った。そして愛するライフワークである音楽のことを考えた。
それから、何故か、あの娘のこと。
この歳でまさか恋でもあるまいし、と首を振るが、心の中に「慈しみ」の気持ちが湧き上がる。
あの子はまだ若い娘だけど、自分を包んでくれるような深い愛情を持っていた。それが、自分には温かく、愛おしかった。
死ぬまであの子とは、今まで通り縁側でゆっくり話せたら。
レイジにはそれ以上の希望は無い気がした。
その時、廊下をバタバタと走る音が聞こえた。
急患だろうか。大病院は大変だ…とレイジは思って静かに目を閉じた時、
「危ないですから!そんなに走らないで下さい!!」
看護師の止める叫び声。何事だ?と思った時、病室のドアがバタン!!と勢いよく開いた。
「……う、う、…〜〜!!!」
言葉にならない声を絞り出して、レイジの顔を見るなりボロボロと泣き出したのは、愛美だった。
「愛美ちゃん…?!」
「…うう、うわああん…!!」
ベッドに横になっているレイジに駆け寄ると、上に被さって愛美は声も出せないほど大泣きした。
「もう、会えないかとっ…おもっ…!」
レイジは予想外のことに驚いて、泣いている愛美をひたすら優しく撫で続けた。
「大丈夫、大丈夫。ごめんね、心配かけてしまったね。ごめんね。」
その後愛美が落ち着くまでしばらく宥め続けたり、看護師が様子を見に来たりで騒がしかった。
愛美はその間もレイジの手をぎゅっと握って離さなかった。
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