拓也と涼太がホテルを出ると、もう深夜だった。
拓也は自分のスタジオに涼太を連れて行った。
「俺がやってるスタジオ。エレピがあるから、弾けよ」
拓也はコードをアンプに繋いでボリュームとgainをあげた。
涼太は静かに椅子にかけると、人差し指で小さく、ポンと鍵盤を叩いた。
「ピアノ…この感覚、知ってる」
涼太は静かに両手を鍵盤に乗せた。
それは静かな波一つ無い湖に、そっと波紋が広がるような静寂の中の動きだった。
一呼吸。その時見開かれた涼太の目はどこか別の世界を見ているようだった。
何かが切り替わった。
バァン!!と激しいコードが鳴り響き、指が鍵盤を駆け抜けた。
一度手を止めた涼太は泣き出しそうな目を見開いて目の前の空間を見ている。
「ああ…ピアノだ…」
拓也はその様子をビリビリと電気が走ったようになりながら見つめた。
涼太から霧のようになにかが溢れているようだった。
見るものの心を強く揺さぶり、惹きつける、あの何かだ。
音楽をやっている時だけ顔を見せる、あの涼太の苦しいほどの魅力。
涼太は一呼吸すると、何かに憑かれたように歌い出した。
切なく物悲しい詞で美しく激しいメロディ。
それは涼太が作った曲「アンダーザムーン」だった。
拓也は体が震えた。涼太が目の前で歌っている。呆然とその姿を見つめていた。
あの涼太だ。ここにいるのは、あのかっこよかった涼太だ。
「…これなんだろね。なんで弾けるんだろ。なんで歌えるんだろ」
涼太は歓びにおののいていた。涙がボロボロと溢れた。
「それはお前が作った歌だよ。お前が一番最初に書いた曲。」
拓也の言葉に涼太は驚いて目を向けた。
「俺が作ったんだ。俺が…」
「信じられない。もうお前の歌なんて聞けないと思ったのに」
拓也は涙をこらえきれず、涼太を抱きしめた。
「生きててよかった」
抱きしめる拓也の胸に耳をあて、まだ戻らない記憶に混乱しながら、涼太はそっと腕をその体に回した。
「あ…りがとう」
ほかにいう言葉が見つからずに、涼太は呟いた。
ずっと感じていなかった人の温かいぬくもりを、拓也から感じていた。
「お兄さん、俺、涼太なんだね」
「そうだよ。俺だって信じられないけどお前は紛れもなく涼太だよ。ずっと会いたかった。俺の大事な、自慢の弟だ」
拓也はしばらく涼太を抱きしめて静かに泣いていた。
「お兄さん、俺何にも覚えてなくてごめん。そんなに泣いてくれてんのに。俺の写真とか見せて欲しい」
拓也はもちろん、と言って涼太の頭を、昔みたいにくしゃくしゃと撫でて、二人はスタジオを出た。
「俺はお兄さんのことなんて呼んでたの?」
「拓也って呼んでたよ」
「結構年離れた兄貴なのに?フランクだなー」
「俺ら兄弟だけど親友みたいでもあったからな。それにお前、生意気だったし」
拓也は笑った。涼太はふぅん、と言いながら後について歩いた。
「聞きたいことありすぎて何から聞けばいいのかわかんねぇけど、お前、今どこに住んでるの?」
「んー、決まったところはないよ。仲良しのお客さんとかお金くれる女の人の家とか」
まじか、と拓也は思った。
まあ美形だし、中身にこんなにカリスマ性を隠し持っているやつなんだから、それくらいのパトロンを作るのはわけないだろうと思った。
「さあ。ついたぜ。ゆっくり話をしよう」
拓也はマンションの扉を開けた。
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