闇で見守る者③ ご褒美のお仕事

若頭の仕事が終えてから事務所に戻ると、支配人がコウタに走り寄ってきた。

コウタの腕を掴むと、シャツの袖を捲り上げて腕を見る。そこには広い範囲に手で強く掴んだようなアザがあった。

「やっぱり…いくらなんでも、これは酷いわ…!」

コウタがアザを作っても自分から言ってこないのを知ってる支配人がチェックしたのであった。

「はは…流石に今回はちょっとやり過ぎたって反省してたよ。すごい謝られた」

「あいつ、コウタが優しいからって…あたしたちが強く言えないからって、あんまりだわ。」

支配人はコウタの腕をさすりなが言った。

「ごめんなさいね、あたし、若頭に話してみるわ。他の仕事に差し支えるからやめてほしいって。それなら角が立たないでしょう。あんたへのクソみたいな乱暴な行為が少しでも減るように」

支配人だって悔しいのだ。
コウタはうなづく。

「でも若相手に無理しないで。アザの見た目は大袈裟だけど、痛みはたいしたことないから。心配してくれてありがとう」

コウタは誰にでもやる様に、優しく微笑む。

支配人はコウタの顔を両手で覆った。

「不甲斐ないけどできるだけあんたを守るわ。次の指名まで休みでいいから、ゆっくり休んで。…次、今週末ね。どうする?その体で、伊織ちゃんの仕事、する?」

コウタはハッとした。
そうだ、伊織に会うまで、1週間くらいしかない。
それまでにこのアザがどれだけ引いているだろうか…

怪我の治りは早い方だから、安静にしていればある程度引くだろう。
でも、少しは残っているかもしれない。

「大丈夫だと思うよ。俺、体丈夫だからさ。結構アザもすぐ消えるんだ。もし残っててもぶつけたとか適当に言うからさ。」

「そう?分かった。じゃあとにかくよく休んでちょうだい。いつもあの野郎の相手をしてくれてありがとう。その分、伊織ちゃんにたくさん癒してもらえるといいわね。」

コウタは笑顔でうなづくと事務所を後にして寮への道を歩く。


この辺りは比較的治安が良く、寮の前の道では近所の子供たちが駆け回って遊んでいた。

「コウタ兄ちゃん、お帰りなさい!」

少年の1人がコウタに気づくと駆け寄ってくる。それに続いて他の子供達も一斉に駆け寄ってきた。

「コウタ兄ちゃんお仕事疲れた?大丈夫?」

コウタは腕のアザが見えない様に、羽織ったシャツの袖を握って伸ばす。

「ただいま。今日ちょっと忙しかったから疲れたな。みんなは元気?楽しく遊んでた?」

背の高いコウタはしゃがんで少年少女たちに優しく語りかける。

「みんな元気だよ。今日はずっと電車ごっこしてた!兄ちゃんがしばらくいなかったからみんな寂しがってたんだよ」

「兄ちゃんに会いたかった!」

コウタは笑って、そこにいた子供達をいっぺんに抱きしめようと広い腕を広げた。
子供達は一斉にコウタに抱きついたりしがみついたり。

「わー!あはは!兄ちゃん大好き!」

「キャー!兄ちゃーん!」

コウタは子供に好かれる質で、近所の子供達はコウタによく懐いていた。
スラムの殺伐とした空気の中で、コウタの様な穏やかな人間は子供達にとってもオアシスの様な存在だったのだ。

コウタはクタクタだったけど、子供達を抱き上げたり肩車したりしてしばし一緒に遊んだ。

「みんなにこれ、お土産だよ。美味しいお菓子屋さんのクッキー。仲良く食べてね」

支配人がコウタのおやつにとくれた袋入りのクッキーを、コウタは子供たちに配った。

「ありがとう!兄ちゃんは食べないの?」

「俺はお腹いっぱいだから。じゃあ帰るね。何か危ないことがあったらいつでもおいで。気をつけて遊ぶんだよ」

「うん!ありがとう!またね」

コウタは少年たちに手を振ると寮の部屋に戻る。

子供達は可愛いけど、乱暴に扱われた後の体でちょっと一緒に遊び過ぎてしまったのか、

玄関を上がったところで膝ががくりと折れて倒れ込んでしまった。

「はは…思ってるより疲れてたみたいだな…」

思わず自分で笑ってしまった。

コウタはベッドまで這うように辿り着くと、潜り込んで体を丸めて、そのまま眠った。

夜中に何度か首を絞められている夢を見てうなされて起きた。
汗だくになって震えている自分に気づいて思った。

怖かったんだ、と。

いつも、なんでも無いつもりでいたけど、本当はずっと怖かったんだ。

自分の気持ちにやっと気づいて、涙が溢れた。自分で自分を抱きしめるように体を丸めて、とにかく寝た。


それから数日。
やはり体が丈夫だからだろう、アザは思ったよりも早く引いていった。それでも少しは残ったが。

もし伊織に何か言われても、言い訳なんてどうとでも言えばいい。多少怪我が残っていても…

「伊織さんに会いたいな…」

思わず呟いた。
ただ一度指名されて過ごしただけの人。本当の思いも人間性も知らないのに、バカだなと思った。

でも、あんなふうに優しくしてくれた人は、今までいなかったのだ。

優しさに飢えていたのかもしれない。

気を許すのは早いだろう。でも、伊織のことをもっと知りたかった。

とにかく指名の日まで体力を回復することを1番に過ごした。


指名当日。

シャワーを浴びて、綺麗に洗ってアイロンをかけたシャツに袖を通し、コウタは鏡を見た。

食べるより寝ていた方が多かったので少し痩せたけど、調子は悪く無い。
アザもほとんど消えた。

これなら問題ない。

コウタはまずはプリンスクラブの事務所に出かけた。

「コウタ!調子はどう?」

支配人が嬉しそうに寄ってくる。

「もう大丈夫。ちゃんと仕事してくるよ。伊織さん、変更無い?今日の場所は?」

「時間は変わらないけど、今日は場所が変わってレンタルのリゾートマンションですって。ジャスミンヒル系列の綺麗なところみたいよ?あたしも行ったことないから感想聞かせてよね!」

自分の仕事でも無いのに、支配人は嬉しそうだ。

「そうそう、あのクソ…じゃないわ、冬花の若だけど、ちゃんと言っといたから。あたしの柔らかーい話術で、でもキッパリとね。悪かった、すまないなって言ってたからね。
今日は伊織ちゃん楽しんでらっしゃい」

「ありがとう。安心したよ。まだ知らないことも多い伊織さんだから、今日も楽しめるかわかんないけど、行ってくるね」

コウタは穏やかな笑顔を向ける。

「大丈夫よ。電話で何度かやりとりしたけど、あの人は悪人じゃ無いわ。スラムのゴミクズどもと数々渡り合ってきたあたしが言うんだから信じなさい。」

支配人が長いつけまつげを揺らしながらウインクをした。

「ふふ、支配人がそういうなら。じゃあね」

事務所を出て、今日は現場が遠いので店の送迎で向かう。

1時間半ほど走ると、件のリゾートマンションに到着する。

建物が所狭しと立て込んでいる地区だが、他の建物よりだいぶ高いことが分かる。

車を降りてマンションのエントランスに入ると、ロビーは小さなカフェになっていた。

見た目も中もジャスミンヒルほどでは無いが綺麗めなマンションだ。

コウタは言われていた通り、ロビーのソファに座って時間まで待った。

ドキドキする。

誰が客でもこんなにドキドキすることはないのに。

コウタは少し落ち着くように深呼吸して、軽く腕を伸ばしてストレッチ。

期待しすぎず。いつも通りに。
大丈夫、どんなことがあっても、俺は大丈夫。

そう心の中で言い聞かせていたら心は少し落ち着いた。

そして同時に、エントランスの自動ドアを通って黒いスーツの長身の男が入ってきた。
伊織だ。

「コウタ、すまん待たせたな。」

「伊織さん、お久しぶりです」

伊織は鋭い目をしていたが、コウタと目が合うと優しい目つきになった。

「少し痩せたか。体調は大丈夫か?」

「そうですか?大丈夫ですよ。俺は元気です」

見透かされたかと思って一瞬ドキリとしたが、コウタは平常を装って微笑む。

「そうか。じゃあ、行こう」

伊織は自然にコウタの手を握ると歩き出した。



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