コウタが事務所に戻ると支配人にいきなり抱き締められて、どうだった?とか今度はしたの?とか質問攻めにされた。
料理を作ってくれたこと、何度もしたことを話すと支配人はその度に興奮して「キャー!」とかはしゃいでいる。
でもコウタは、伊織がマフィアだということ、「冬花」の若頭を何らかの手を使って自分から引き離すつもりらしいことは黙っていた。
そのことは支配人には言ってはいけない気がした。曲がりなりにも「冬花」はこの店のケツモチだ。余計なことは言わない方がいい。
支配人に散々撫で回されて、「いいお客付いたわね♡」と頬にキスをされ、アハハ…と苦笑いしつつ付いた口紅を拭きながら「じゃあ、帰ります」と言ってコウタは事務所を出た。
帰り道は何だかふわふわしたような、不思議な感覚。
疲れてるのに幸せ。こんなふうに感じたことは無かった。
寮の前の通りにいた子供達と今日も少し遊んで、帰ろうと寮に目を向けたら階段の前に少年がコーラの缶を片手にしゃがんでいる。
「あれ…、もしかして…!ユノくん?!」
コウタが声をかけると、少年は立ち上がって、おう、と手を上げた。
「久しぶり…!何年ぶりだろ、大きくなったね!」
コウタは駆け寄って手を握った。
「3年ぶりだな。お前こそ、なんか…すげえでかくなったな」
ユノは背が高いコウタを見上げてちょっとジェラシーしているようだ。
「ユノくんはきっとこれから背が伸びるよ。それより立ち話も何だから、うちに来てよ」
コウタはユノの手を取って部屋へあげた。
「何か飲む?…と言っても、お茶とコーヒーしかないな」
「ちゃんと差し入れ持ってきたよ。お前が好きだったオレンジソーダ」
ユノはニッと笑うと持っていた手提げから缶ジュースを2本取り出す。
「へへ、覚えててくれたんだ。ありがとう」
2人はテーブルを挟んで、缶ジュースで乾杯をした。
ユノはコウタの3つ下の幼馴染だ。幼い頃住んでいた地区が同じで、よく一緒に遊んだ。コウタは母と暮らしていて、ユノは孤児院で暮らす子供だった。
3年前、コウタが母の死をきっかけに花売り稼業を始めてここに引っ越しをし、ユノは同じタイミングで孤児院の経営者であるマフィアの訓練所に入ることになった。
それ以来のひさしぶりの再会だった。
「急に来て悪いな。訓練所を出て一応俺も一端の構成員ってことになってさ。やっと自由に動けるようになったから、コウタ元気かなって思って。会えてよかった」
ユノはいかにも悪ガキといった顔でニコニコと笑う。
「そっかあ、訓練所終わったんだ。長かったね。格闘技とか習うんでしょ?大変だった?」
「おう、そりゃあもう…思い出すだけで吐き気するぜ…。とにかく教官の野郎が滅茶苦茶に強くておっかなくてさ…しかもこの人は今も俺の上司なんだ。訓練所出てやっと離れると思ったのに、ホントついてねえよ。
おまけにボスのババアには「お前は体に恵まれてないから格闘技向かない」とか言われてさ。頭はいいからそっちを使えって言われたよ。もっと早く言ってくれっての。3年間頑張ってこれでも少しは喧嘩強くなったのによ」
ユノは拗ねたように唇を尖らせている。こういうところはまだ少年ぽくてあどけない。
「へえ。確かにユノくんは頭いいから、作戦立てるのとか上手そう。小さい頃、かくれんぼしても絶対見つからなかったしね。先生からの隠れ方とか、叱られないようにおやつを多くもらう方法とか、色々考えてたよね」
懐かしくて楽しくて、コウタは笑った。いつも悪知恵を働かせるユノは愉快で楽しい友達だったのだ。
「まあな。無い物ねだりしてもしょうがないし。特技は生かしてやってくよ。それよりコウタは?仕事大変だろ。うまくやってんのか?」
「はは、そうだね。なんとかね。いろんなお客様いるから、色々あるけど。でもすごく優しい人もいるから、やなことばかりでもないかな」
ユノはふーんとうなづきながら、コウタの腕のアザの痕をちらりと見た。
「お前んとこ、冬花だっけ?ケツモチ。」
「そう。前の支配人の時からの付き合いらしいよ。」
「そうか。もしかしたら、ケツモチ変わるかもよ。大きい声じゃ言えないが、俺の組織で冬花のことで動いてる人がいる。多分ここ数日でなにか起こるだろう。そうしたらお前、乱暴な奴からは解放されるぜ。」
ユノが頬杖をついてニヤリと笑う。
「え?なんで、そのこと知ってるの?」
「そりゃ、そんなアザつけてるからだよ。それ掴まれた痕だろ。花売り稼業にゃケツモチが付き物だ。そんなのみんな知ってる。だから普通の客は店子にそんな乱暴なことしねえ。つまりそれをつけたのはよっぽどの大馬鹿か、ケツモチの、しかも格が上のやつってことだ。最近大馬鹿が冬花に消されたなんて話は聞かないから、な。つまりそういうことだろ。」
コウタはユノの鋭さに驚いてしまって、飲もうとしたジュースの缶を途中まで上げたままポカンとしてしまった。
「…ユノくん、すごいね。頭いいの全然変わってない」
ユノはへへへ、とおもしろそうに笑う。
「そういえば昨日、俺のお客さんも、俺から冬花のやつを引き離すって言ってくれたんだよね。…あれ?まさか、ユノくんの組織の人なのかな…?」
「へ?昨日?……」
ユノの顔が一瞬青ざめる。
「ユノくん?」
「一応聞くけどどんな人?」
「えーと…背が俺より大きいから185センチくらいかな。それで黒髪長髪で、体がすごく鍛えられてて、上半身にドラゴンと棘のタトゥーが入ってる」
ユノが一瞬石のように固まった。
静寂が訪れたあと、我に返ったユノが話し出す。
「いやあ〜知らねえな。俺は知らねえ。その人はきっと違う組織の人だろうよ。
とりあえずな、今までのことは聞かなかったことにしといてくれよな。俺が話したって誰にも言わないでくれよ」
伊織のことを何か知ってるのかと思ったが、ユノがそれ以上話をしたくなさそうなのでコウタは聞くのをやめておいた。
「分かった。今のは聞かなかったことにするよ。とりあえず、何か夕飯食べていってよ。そうだ伊織さんにもらったポテトサラダの残りもあるし」
と思わず伊織の名前をポロリと言ってコウタが立ち上がると、ユノはひいっ!と喉の奥で悲鳴のような声をあげて、いやいや、と胸の前で手を振った。
「飯は大丈夫!そ、それよりさ、昨日から泊まりで仕事だったんだろ。疲れてるだろうからもう帰るよ。ゆっくり休めよな。」
「あ、うん?何で泊まりって知ってるの?」
「あ、や、それはよ」
ユノはニッと笑いながらも冷や汗をかいている。
(俺の馬鹿野郎…ッ)
動揺して、余計なことを言ってしまったことを後悔したがもう遅い。
頭はいいが、まだ14歳。おっちょこちょいなところとポーカーフェイスはまだまだのようだ。
「何となくそう思っただけ。この時間に戻りってことはそうかなって。じゃあ、また連絡するよ。元気でな」
「うん、またね。またいつでも来てよ!」
苦し紛れの言い訳をしてそそくさと帰っていってしまったユノ。コウタは何だかよくわからないけど、まあいいか、と切り替えて、伊織が作って余って持たせてくれたポテトサラダを食べて夕食を済まし、早めに眠った。
コウタの家を出たユノはとりあえず周りを見回して、怪しい人影がいないと悟るとほっと胸を撫で下ろした。
(ふぅ、びっくりした…あんの鬼教官野郎、2日非番取ったのはコウタと会うためだったのかよ…おかげで俺は伸び伸びできたけどな。余計なことしたら殺されそうだから黙っとこ。)
そしてユノは勝手知ったるスラムの裏道を通り寝ぐらへ帰る。
鬼教官上司の伊織はコウタのあのアザの痕を見て冬花への制裁を決めたのだろう。何せ部下への指令が入ったのが昨日の夜だったからだ。
よほどコウタにご執心のようだ。あの鬼のような人の優しい顔などユノには想像もつかなかったが。
冬花を始末したら、あの人はコウタから距離を取るだろう。コウタに危険が及ばないように。
おそらくスラムを離れるだろう。
ユノにとってみたら鬼教官上司がいなくなるのは好都合だが、コウタはどうかな、と思うのだった。
2人の関係がどれほどなのか知るよしも無いけど。あの人が組織を動かしてまで守ろうとしているなんて、よほどのことだ。
「うーん…」
考えても仕方がない。どんなことになろうと、ユノはコウタを友達として助けようと思った。
そしてあの、おっかなくて嫌いだけど尊敬している鬼上司伊織の、密かな願いを叶えるべく協力しようと思うのだった。
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