闇で見守る者⑩ 「闇猫」のアカツキ

伊織は所属するマフィア「闇猫」の、スラムに数あるアジトの一つで、パソコンの画面を見つめてキーボードを打っていた。

隣のデスクではユノも同じようにパソコンに齧り付いている。

「よしっ…アカツキ、奴の口座情報が手に入りましたよ。
脳筋のジャパニーズマフィアのくせに回りくどい隠し方してやがって…」

ユノは一息ついて肩を回すと、背伸びをしながらあくびをする。
昨日コウタの家からここへ来て、夜通し「鬼教官野郎」伊織の指示通りハッキング作業をしている。

「アカツキ」は、伊織の闇猫でのコードネームである。

「お前は仕事が早いな。喧嘩は弱いが頭は切れる。大したものだ。」

(一言余計だよ…)

間違っても言葉に出来ない悪態を心の中でつき、ユノは口を尖らす。

「で、この後はどうするんです?アカツキのシナリオは?」

「手始めに奴を内部から炙り出す。金を動かせ。やり方は分かるな」

「奴の口座に毎月不正に冬花の金が動いたように見せかければいいんでしょう?…そしてその証拠の片鱗を内部告発に見せかけて冬花のボスの目に入れる、と。なかなか「クリーンな手」を思いつきますね、アカツキは」

伊織は鼻で笑う。

「炙り出せば後はこちらのものだ。今回は久しぶりに俺がやる。わざわざゴミで手を汚すことはないが」

伊織は立ち上がってブラインド越しの明け方のスラムの街を見下ろす。

「たまには使わないと、腕も鈍るからな」

伊織の腕の筋肉が脈打つように蠢く。
バキバキ、と音を立てて拳が握られる。

それを見てユノは震える。

(ひー、こっわ…すげえ本気じゃねえか。こんなアカツキ見たの、ジジイが死んだ時以来か…。
ターゲットはゴミとはいえ、お気の毒様だな。アカツキの本気の腕にかかったら確実にあの世行きだぜ)

ユノは、絶対に怒らせないようにしよ…と思いながら伊織の指示通りに口座の金を動かす。

嘘の事実を支えるための偽の記録を慎重に作り込む。万が一嘘がバレたとしてもここの場所は絶対に特定できないように細工をする。

ユノは自分でも思うが、こういうことは得意だ。凄腕ハッカーレベルまではいかないが、闇猫の活動を支えるには十分な腕だった。
そんなだから「アカツキ」の直属の部下になど指名されてしまったのだが。

全ての作業が終わったのは昼頃だった。

時限爆弾のように仕掛けが発動して奴が炙り出されるまで、長くて半日ってところだろう。

後動くのは現場の者たちの仕事。
ユノは仮眠の許可を取ろうと、「仕事」の準備をしている伊織に話しかける。

「アカツキ、俺の仕事は終わったので少し仮眠したいのですが」

「ああ、許可する。ご苦労だった……ありがとう。」

その言葉にユノは目を丸くする。
伊織は意に介さないように準備を進めているが、

(ありがとう、って…)

今まで一回も言われたことがない。ご苦労だった、よくやった、などはいつも言われるが、ありがとうは初めてだ。

ユノはその恵まれた頭脳をフル回転して、素早く考えを巡らす。

「…アカツキ、実はたまたまこの仕事のおかげで、俺の友達が1人助かるんですよ。スラムの花売りの1人でね。こいつの変態性癖の犠牲者の1人です。」

伊織は手を止めて、ユノを睨む。ユノはその圧に一瞬怯みそうになったが、拳を握りしめて耐える。

「ほう、お前の友達か。それはよかった。」

心を覗くような恐ろしい目をむけてくる。ユノは背中に冷や汗が流れるのを感じる。この人の圧はいつまで経っても慣れない。

「お、俺の友達を救ってくれて、ありがとうございます、アカツキ。」

目を見つめたまま絞り出すようにそう言うとユノは部屋を出ようとした。

「待て。」

ビク、と動きを止めてユノは振り返る。

「…この作戦は、ある人物を守るためのものだ。「たまたま」、その友人も救うことになったようだが。
ある人物とは、亡きボスの忘れ形見。ボスが存命の時から、愛人に産ませたその子どもをを時折見守るようにと俺は命令されていた。」

ユノの狙い通り伊織は真相を語り始めた。
伊織とコウタの接点がやっと分かった。

「ボス亡き後も、俺はボスの忠実な部下だ。その子どもの命に関わるようなことを、放っておくわけにはいかない。」

コウタのための私的な怨恨では無いと伊織は言いたいのだろう。

もちろんユノも、伊織が組織の力を私的利用する人物では無いことは分かっている。

「分かっています。
今後「もし」あなたが不在でも、ボスの大事な息子は俺が守ります。お気をつけて。」

伊織は、圧がおさまって凪いだ湖面のような静かな目をユノに向けている。

それが「わかった」という意味だということはユノにも伝わる。

ユノは今度こそ部屋を出ようと扉を開けた。

「…ありがとうございます」

自分にマフィアの生き方を教えてくれた上司であり元鬼教官に、敬意を込めて。
そう言って部屋を後にした。



伊織は準備をする。

「仕事」の道具と、そして今回は、トレインの乗車券。

あの頭のいいユノには全部バレてしまっていたようだ。さすがだな、と思って伊織は笑う。

もとより自分が消えた後のコウタのことはユノに託そうと思っていた。
頭もいいし、年齢的にもコウタに近い。

それがすでに友人だったとは知らなかったが。


先代が死んで代替わりした後は組織の色も変わってきていた。
古い体制の頃の自分はこれからの闇猫には必要なくなっていくだろうことも分かっていた。ちょうどいい頃合いなのだ。

ボスの命令は必ず守る。

ボスの命令だから、スラムで生きる花売りの少年の様子を時折見てきた。

何かがあったら守れと。

ボスの命令だからこそ…

「コウタ…」

いつからこんなに、まだ17歳の少年の顔を見るのが楽しみになっていたのだ?

ボスの命令関係なく、コウタに会いたいと、コウタと話したいと…コウタと…

伊織は首を振った。

何はともあれ今のこの行動は正しい。セオリー通りだ。

もしも、もう2度とコウタに会えなくても、自分が今とる行動は正しい。

そう心で思って、伊織は荷物を持つとアジトの扉に手をかけた。

子どもだった自分を地獄から拾ってくれたこの組織。

本当の父親のように接してくれた先代のボス。

自分に付いてきてくれた自慢の部下たち。

色んなことが頭をよぎった。

こんな去り方こそ自分には相応しいな、と伊織は笑う。

ユノが寝ている隣の部屋を一瞥すると、迷いなくドアを開けて外へ出た。





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