この街の湯めぐりは浴衣を着ていくそうだ。
伊織に言われて、宿に置いてある浴衣を見よう見まねで着てみるコウタ。
「えっと、これでいいんですかね?帯の縛り方が分からないです…」
「うむ…合わせは合ってるが、帯はもう少し腰の位置にするといいぞ…俺が直してやる。」
と言って伊織が帯の位置と結び方を直す。手慣れていて仕上がりも綺麗だ。
「ありがとうございます、伊織さん。どうかな、似合いますか?」
コウタが首を傾げて微笑むと、伊織は頬を赤くして顔を逸らす。
「…伊織さん?ふふ、照れました?」
「あー、ゴホン。照れたというか、…とても似合うよ」
いつもならすぐ大人の余裕のある顔に戻るのに、なかなか赤くなった頬が戻らない。
「へへ…うれしい。もっと見て下さい。ふふっ」
いつもと違う伊織の反応が面白くて、コウタは目を逸らそうとする伊織の顔を覗き込んだりしてはしゃぐ。
「もう、お前は…。ものすごく似合う。すごく可愛いよ」
もう大人の表情に戻るの諦めて、伊織は珍しくはにかんだ笑顔で言ってコウタを抱きしめる。
「かわいい。絶対に可愛いと思っていたけど予想以上に可愛いな。誰にも見せたくないくらいだ。」
「ふふ、褒められて嬉しい。伊織さんもすっごくかっこいいです。和装が似合いますね。ドキドキしちゃう」
2人はしばらくお互い褒めまくってキスをしたり戯れ合ってから、外の文化財の湯屋へ向かった。
下駄をカラカラと鳴らしながら、昼下がり石畳の道を並んで歩く。
「雰囲気がありますね…!俺の住んでる街と全然違う。あ、あそこに神社がありますよ」
「ちょっと寄ってみようか。」
2人は平日で人もまばらな神社の石段を登った。
「足元気をつけろよ。」
そう言って伊織はコウタの手を取る。
「は、はい。」
伊織に手を握られてコウタは頬を赤らめる。いつもと違う場所で、こうして手を繋ぐのはなんだか新鮮だ。
(あの人たち恋人同士かしら?お似合いね)
すれ違う人たちの声が聞こえた。恥ずかしいけど嬉しい。
境内に着くと、伊織に教えられて手水やで手を洗い、お賽銭をしてお参りをする。
お辞儀をするのも、柏手を叩くのも、静かに祈るのも、伊織は所作が美しい。
チラッと横目に見てコウタは思った。
その後おみくじを引く。
コウタが末吉で、伊織は中吉。
「おみくじって初めて引きました。仕事運、好調…恋愛、辛抱強く待て、だって。」
書いてある文字をふむふむとコウタは読んでいる。
「おみくじはここに結んでいくんだよ。」
と言って伊織が備えてある紐に結んだので、コウタも真似をして結んだ。
「神社は空気が澄んでいて気持ちいいな。樹齢の高い木も多い。こんな巨木は滅多に見られない」
言われてコウタも周りを見渡す。
確かに、普段は見られないような立派な巨木がそびえている。
「樹齢、何年くらいでしょうか」
「立て札には500年と書いてあるな。人間には想像もできない、途方もない長さだな」
「ご、500年…そんなにこの場所で生きているなんて、どんな気持ちなんだろう…」
伊織とコウタは植物や命に思いを馳せながら神社を後にする。
「さて、あそこが文化財の湯屋だ。早速行ってみよう。ステンドグラスが綺麗だそうだ」
「楽しみですね!俺こういうところに来たの初めてで、全部新鮮で楽しいです。」
楽しそうに伊織に腕を絡めて無邪気にはしゃぐコウタ。
それ優しく見つめる伊織。
普段は機嫌でも悪いのかと思われがちな強面の伊織だが、コウタにだけは無自覚に優しい顔になるのだった。
文化財の湯屋は洗い場は狭く、ステンドグラスのある歴史ある建物の中で純粋に温泉を楽しむための場所だ。
人も少ないなか、伊織とコウタは少し熱めのお湯に浸かる。
ふぅー…
2人ともじっくり温泉とその空間を味わう。
「伊織さん、ステンドグラスから入る光がすごく綺麗ですね。温泉も染み渡るし、最高…」
「そうだな…」
2人は温泉がじんわり染み渡るのをじっくり味わった。忙しい毎日のオアシスのようなひと時。
しばし非日常と美しい空間を味わった後、2人は2階の休憩スペースに上がった。
「畳敷きで風が通って涼しいですね。すごく心地いい」
コウタが嬉しそうに座布団に座ると、女の人が2人にお茶を運んできた。
「ここで採れたお茶ですよ。ゆっくりしてってください」
「ありがとうございます!」
お茶を飲んで、2人はのんびりと過ごす。周りの人たちも平日の今日はまばらだが、それぞれがリラックスして過ごしているようだ。
伊織は肘を立てて横になっている。
「伊織さん、ここ、どうぞ」
コウタはポンポンと自分の膝をたたいた。いつも伊織がやる仕草だ。
「ん…、いや、それならお前が俺の膝に横になればいい」
「だーめです。今日は伊織さんが俺に甘える日ですから。たまにはいいでしょ?人も少ないし。ほら、早く来てください」
コウタの笑顔の強引さに負けて、伊織は慣れない膝枕をしてもらう。
「んん…慣れないから、なんだか変な気分だな」
「俺も初めてあなたに膝枕された時はそういう気持ちでしたよ。たまにはこうして、俺にも甘えて下さいね」
コウタが背中をトントンしながら優しく髪をすくように伊織を撫でる。
慣れない、と言って力が入っていた伊織だが、だんだんと脱力して来たようだ。
「すごく気持ちいいな…」
「ふふ、そうでしょ?俺に体を預けて下さいね…あれ?」
気づくと伊織はスースーと静かに寝息を立ててコウタの膝の上で眠ってしまった。
(珍し〜。伊織さんが寝ちゃうなんて。きっとすごく疲れてたんだな)
コウタはしばらく伊織の寝顔を見つめる。
伊織がこんなに無防備になるのは珍しい。いつもコウタと会っていても必ずコウタが先に眠るまで起きているし、コウタが起きればすぐに伊織も起きる。
だからコウタはこんなにじっくり伊織の寝顔を見るのは初めてかもしれない。
(…こうして見ると、伊織さんの寝顔ってなんだかあどけなくてかわいいんだな。俺の膝の上で安心してくれて、嬉しいな。)
コウタは伊織を優しく撫で続ける。いつもどんな時もコウタを守ってくれる、強くて優しい伊織が自分だけに見せてくれる顔を忘れないように、コウタは見つめていた。
どれだけそうしていたか、しばらくすると伊織はハッと目を覚ました。
「すまん、寝てしまった」
自分で自分の行動に驚いたようで、目を瞬かせながらコウタの膝から起き上がる。
「すまん、俺が寝てる間に危ない奴はいなかったか?危険な目に合わなかったか?」
伊織が慌ててコウタの肩を掴んで聞くので、コウタは思わず笑ってしまった。
「大丈夫ですよ。いつもそうやって俺のこと守ろうとして気を張ってくれてるんですね。でも大丈夫ですから。今日は、いくらでもゆっくり寝て下さいね。」
「…そうか。お前の膝の上では俺は無力化されるみたいだな…」
「もっと寝ます?」
コウタがニコッと笑う。
「いや、もういい。…またそのうちやってくれ」
伊織が顎に手を当てて顔を赤らめて言った。
それから2人はしばらく湯屋の2階でのんびりしてから宿に戻った。
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